こんな夢を見た。2020年10月27日 18時40分30秒

こんな夢を見た。
無観客の演奏会のリハーサルに何を思ったか潜りこむ、といっても警備も何もなくするする中まで。ホールの脇、使う予定のないピアノの陰に隠れて一息ついているとソプラノの女性が来て練習を始める。見ていると瞬間移送?で男女がシームレスに入れ替わる趣向。これが無観客とは残念。

こんな夢を見た。
研修旅行で久しぶりの旅館。軽食にラーメンが出て皆食べようとしていると晴れた空にいきなりの稲光。窓の外の庭にすごい幅の稲妻。電光が大きすぎたのか庭の松の木に大きな火花がチラチラ残って葉先に宿る。不意にその火花が飛びたち集まる。鳥の形でヒュンと飛び回る。いい歓迎だ。

こんな夢を見た。
台風一過、所用で外出して戻るとマンションの駐車場の下の土が流されて大穴。停めてあったクルマはどこかに退避させてある。一度階段を上がるが、踊り場から振り返るとさっきまで無事だった自分のクルマの側も被害がある。降りてみると住民が大勢集まって大騒ぎ。これからどうなる?

こんな夢を見た。
目の前に白と黒の切り絵。コマ割りされてマンガになっている。見ていると切り絵がパタパタ切り替わってなんとなく動いている。階段や坂の多い町での子どもたちの日常だ。ある時その切り絵の白かった部分に色紙のような平板な色がついた。なるほど、カラー切り絵が普及し始めたのか。

こんな夢を見た。
なにかの映画の舞台を訪ねる旅。小学校の前にやや深い水路、すぐそばには急な石段と登った先には小さなお寺。訪ねるうち、自分は映画の主人公の男の子になって、その小学校に通いお寺で遊ぶ。そのうち、そのお寺のできた成り立ちの謎を解く。いっしょに旅に来てる妻に後で教えよう。

こんな夢を見た。
宇宙空間。彼方にキラッと光。ナレーションが語る。「相対的結末であった」。え? なんのこと? 相対論的、でも意味わかんないけど。視界には例の木馬みたいな機体。でもパーツがキツい原色でコレジャナイ感…

こんな夢を見た。
襖や障子をぶち抜いた日本家屋でなにかの集まりがあった。その会が終わり次のイベントが別の場所であるらしく人がいなくなる。気がついてみると何故か某小鬼さんと某中野さんと自分の3人だけががらんとした家屋に残っている。某中野さん、次のゲストだったはずだけど間に合うのか?

こんな夢を見た。
夢というか、一度目覚めて寝入ろうとしたら、まぶたの裏にえらくリアルな光景がいくつも浮かんでいる。ひとつひとつが目を覚ましている時に目に映るもののようにリアル。だけど、それぞれの間にモヤモヤした境界みたいなものがある。どれかに入っていくと、次の夢になるのかな?

こんな夢を見た。
テレビのニュースの音が聞こえて目を覚ます。窓の外は明るい。そろそろ起き出そう。…と思って二度寝。また目を覚ますと、今度は音もせず、外もまだ暗い。あれ、と思ってまた寝る…。何回目かに目を覚ました。あ、これが現実か!?

こんな夢を見た。
自分は夢の中にいない。その代わり、ガルパンのダイジェスト映像がえんえん脳内再生されている。二度寝しても同じ状態。三度寝しても同じ状態。自分の頭は、今夜は自分で考えて夢を見せるのを諦めたらしい。たまにはゆっくり休んでください。でも、なぜガルパン!?

こんな夢を見た。
おしりたんていはぼくだ。ぼくがおしりたんていだ。なにかじけんだ。なにかじけんがおこった。いらいだ。かいけつするんだ。
…解決する前に、目が覚めた。

こんな夢を見た。
今の両親を連れて母の実家に行く。久しぶりに見る親戚たちが続々集まってくる。法事?に出かけようというところでその家の伯父が急に倒れたとかで、やおら騒がしくなる。気がつくと歳の離れた従兄たちの顔もある。不意に父が自分の実家に荷物を置きに行きたいという。すごく遠いのに。

こんな夢を見た。2020年03月01日 11時04分26秒

こんな夢を見た。
小さなバーカウンターでお客に料理を出すイタ飯屋。料理を出す傍ら、使い終っった名物?の梅の種を小皿に置いて絵の具を染ませ、その種をカウンターに置いて色を移す。一枚板の木のカウンターにはその色が淡く混じり合っていい味を出してる。この店はこうして年輪を刻んでいくのか。
今のマスターは若い、後輩の女性に料理の出し方や、種の使い方を指導もしている。出来上がったサラダはカラフルで美味しそう。マスターの手がうっかりサラダの皿を落としそうになり、自分がとっさに皿を押さえると、マスターがニコリ。ふとふり返ると、反対側の厨房で先代のマスターが目を細めている。

こんな夢を見た。
職場で急な訃報を聞く。今お経をあげるので、いる人はすぐに手を合わせろ、とのこと。数珠がないが皆で手を合わせる。ふと顔をあげるとちゃんとお坊さんが読経している。と、誰かがすぐそばを通りかかり、ニンニクを食べていてはお葬いにならないと述べる。そんな覚えはないのだが?

こんな夢を見た。
仕事仲間が来た。見慣れぬ会議室に入るとゴミ屋敷のように雑然としている。なんとか片付けて打ち合わせを始める。まずプレゼン資料を流す。何かの古い映画のようだ。気がつくと、みんな無言で布団にくるまってる。自分もだ。顔を上げると、ディスプレイは白黒のブラウンじゃないか。

こんな夢を見た。
何かの運び屋がブツをくすねて相方と二人で逃げてる。その運び屋は自分ではないので、夢見てる自分はえらく冷めた目で、いかにもステロタイプな運び屋の逃走を見ている。ろくに策もなくブツを取りに行くので、危ないな、と思ったら、案の定追手が現れる。ボコられる前に目が覚めた。

こんな夢を見た。
まるまると大きなネズミの群れがすごい勢いで駆けてくる、と、猫らしき動物が追ってくると思うや、ネズミの一匹が急にUターンして自分の方に、動物もその一匹を追う。ネズミが自分の懐に飛び込んでくる、さっき目にしたより大きくなってる!? カピバラみたいだが、表情が人のようだ。
見るたびに何故か大きくなってきてるネズミを抱えたかたちのところ、追っていた動物が止まって目の前にいる。先ほどはネズミの群れを追うネコに見えたが、アレ? どう見ても犬だ。獲物を見つめているが、その獲物がいるのは自分の懐だ。うわわ、どうするの、これ…というところで目が覚めた。

空襲は永遠に(「地獄めぐり」としての『双生児』)2015年12月26日 09時52分19秒

 気がつくとほとんど週刊状態のプリースト『双生児』解析シリーズ。読んでない方にはわけのわからない話ですみません。

■「記憶」と「記録」
 通常の歴史改変SFは「歴史改変のポイント」で読者の知る歴史と別の出来事が起こり、そこから「風が吹けば桶屋がもうかる」式に変わってしまった歴史を経た世界が描かれる。
 『双生児』(特に第五部)においては、その「ポイント」が一見「チャーチルの停戦決定」であるかのように描かれている。
 物語の外枠にあたる「スチュワートの世界」においては、既存の歴史研究で「ジョー・L・ソウヤー」は以下のような存在とされてきた。

・チャーチルの停戦決定の過程に関与した(らしい)。
・和平交渉に参加、署名と写真を確認できる。
・目撃例は赤十字活動で英国国外で2回のみ。
・和平成立後の消息は不明。

 ジョーの存在は、文書や写真等の「記録」にのみ残るものの、それ以外はきれいにその存在が消失しているようである。

 この世界では、サム・レヴィの書簡からジャックは爆撃機の墜落で死んで、同乗者の中ではサムのみが生き残っている。
 ジャックについては死んだ後も、まだしもサムの「記憶」には残っているようだが、ジョーについては、どうやら誰の「記憶」にも残っていないのではないか?
 とりわけ、ジョーの息子であるはずのスチュワートが実父と思われる人物について、実母(ビルギット)や周辺の人物(養父ハリー)はジョーについて何も語らなかったのか?

 それについての一つの解釈だが(前回もちらっと触れたが)、ジョーが時間遡行で肉体ごと姿を消し、遡行した先で死亡したのか、別の歴史をたどった世界を生き延びていったのか、いずれにしても肉体存在として戻ってくることなく存在自体が消失したことで、時間SFではたまにみられる世界の自己修復機能で、存在自体が(過去まで遡って?)なかったことになっているのではないか?
 その場合、ジョーの存在が消えた後の世界では(その世界の人々の「記憶」の中では)、以下のように改変されていたのかもしれない。

・ジャックは双生児ではない?
・ビルギットは英国に脱出後、ジャックと結婚?
(サムの書簡でジャックがビルギットと結婚している、と語っていたのは浮気を隠すための偽装ではなく改変後の事実?)
・スチュワートの父親はジャック!?

 この場合、ジャックはスチュワートの誕生日に死亡しているので、夫を失ったビルギットは自然な流れとして、もともと懇意だった隣家のハリーと再婚して彼を育てた(ということになっている)のだろう。
(スチュワートとサムとのやりとりの中ではジャックとスチュワートの関係も語られない点には、なお違和感が残るが、そこはここでは措いておく)

 ただし、この世界の自己修復機能はどうやら人々の「記憶」には作用するが、文書や写真等、物理的に残ってしまったものにまでは及んでいないのではないか。ということで、誰一人その存在を「記憶」していないにも関わらず、「記録」の中にはジョーの存在の痕跡が残されてしまっているのが「スチュワートの世界」なのかもしれない。

■あしたのないジョー
 そういうことで、「スチュワートの世界」からは存在を抹消されてしまっているっぽいジョーだが、ジョー本人の主観ではその後をどう生きていったのか?

 前回考察したように、和平の実現した世界から拒絶されたように感じて、和平に関わることをやめてしまっていたなら、英独和平が不成立に終わった読者の知る歴史の世界で生きながらえたのかもしれない。
 あるいは、その後も和平の努力を続けたが、どうあがいても和平成立の世界に居続けることができず、セーブポイントである救急車に戻って無限ループに陥っているという可能性もある。

 よくよく考えてみると、せっかくビルギットと結婚したのに生活は苦しく、赤十字活動に没頭してビルギットはほったらかし、たまに家に帰ると自宅はグラットン親子にのっとられているか、ジャックがビルギットを訪ねてきたらしい痕跡をみつけるか、ジョーの私生活は荒廃する一方。
 しかも、そのことを自覚するような出来事に遭遇すると時間が戻ってしまうので、自分が成し遂げた和平成立の世界から離脱せざるを得ない、というループ構造になっているというあたりが、また底意地が悪い。

 いいことがあった、と思った次の瞬間にそれがひっくり返る、という絶望感は精神的にかなりきつい。そういった瞬間を選りすぐって追体験をループで繰り返す主人公の地獄めぐりを描いた短編にティプトリー「煙は永遠に(煙は永遠にたちのぼって)」のような作品がある。(ベスターの「地獄は永遠に」も同様のアイデア、構造と思われる)

 また、この第五部の読後感は、先日改訳復刊されたレムの『泰平ヨンの未来学会議』の読後感にも近いように思う。『〜未来学会議』は主人公に対して次々と作用してくる幻覚剤の効果で、さまざまな悪夢的な世界を体験するが、最後の数十行で複合的な幻覚がはがれて、物語の序盤に回帰するのだが、その世界は、未来学会議参加者たちが物語序盤で始まった爆撃を逃れて一時的に休息しているシチュエーションであり、そもそもハッピーなエンドではない。しかも、そこまでに描かれた幻覚の多層構造を考えると、悪夢的な現実から脱出し切れたとは思えず、時間ループではないものの、これも「地獄めぐり」的な物語構造であった。

 『双生児』においても、第五部が「ジョーの自筆ノート」で時間が戻った瞬間で終わってしまい、ジョー本人はけっして望む世界にたどり着けず、絶望の無限ループに陥っていることを示唆している点で、読後感は『〜未来学会議』に近いと感じた。

ととろでまいまいしんこなつぶやき2010年10月28日 23時11分41秒

22:06:33 アニメ様に対して恐れ多いとは思いつつも、アニメに対するファンとしてのスタンスはすごく自分と似ていると思うことが多い。ちょっと前の『マジカルエミ』の感想の時もそう感じたけど、今回のこの『トトロ』と宮崎駿へのスタンスは人ごととは思えない。→http://bit.ly/c4EDr2

22:08:26 当時大学院生で学会発表とかでばたばたしていて、『トトロ』は最初の上映期間内には観にいけなかった。

22:12:28 それでも、その年の秋くらいにはレンタル店に出たので、『トトロ』も『火垂るの墓』も研究室帰りに借りて深夜に観た。『トトロ』はその後ほとんど毎日のようにヘビーローテーションしたけど、『火垂るの墓』はそれっきり二度と観ていない。観る勇気がない。

22:16:49 今にして思えば、興行成績が悪く、資金回収のために早期にソフト化せざるを得なかったんだと思う。その年の日本アカデミー賞に入って、年末くらいに凱旋上映があったので、後追いではあるが劇場で観ることができた。

22:19:28 おかげで、劇場で同時に『火垂るの墓』を観ずにすませてしまったのだが、やっぱり『トトロ』→『火垂るの墓』の順番で観てしまった人はトラウマになったんじゃないか、と人ごとながら心配した。

22:20:39 だからといって、『火垂るの墓』→『トトロ』の順で観たからといって、『火垂るの墓』がトラウマにならない訳ではないが、劇場を出る時の気分は相当にちがうよねえ。

22:26:09 で、本当は同じ時期に『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』が公開されていた筈なのだが、当時ミニシアターから足が遠のいていたおかげでまったく情報が入っていなかった。

22:29:51 翌年就職したら、その当時の静岡では、毎年夏に劇場系列を度外視した全劇場参加の一大オールナイト企画があって、観損ねていた『薔薇の名前』を観ようと入った同じ劇場にかかっていたのが『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』。一発で気に入った。

22:33:59 けんみん映画祭。静岡市の映画館が交差点を挟んだ至近距離に隣接しているという立地を利用して、平日レイトショー&土曜日オールナイトで40本くらいの映画をまとめて上映するというすごいお祭りだった。なくなって久しいんだけど。

22:38:54 立地のみならず、通しチケットを買えば、どの日のどの劇場にも出入り自由という超太っ腹なお祭りだった。借り上げ独身寮が静岡市だったのも幸いして、最初の3年くらいはずいぶんお世話になった。単館なら観にいかないかもしれない作品を発見する機会にもなった。

22:42:33 ある意味、建物が分かれたシネコンみたいな状態だったといえるかも。というか、立地だけなら今でも変わっていない。因みに、全国でみっつくらいしか残っていないらしい「オリオン座」があるのがこの映画街である。「ミラノ座」ももちろんある。

22:43:53 今は、清水と藤枝にシネコンができちゃったので、静岡近辺の映画のお客さんはずいぶん分散しちゃったんだろうな、と思う。

22:52:09 で、『マイマイ新子』を観たのは実はその清水のシネコン。おお、なんだか話がつながった(笑)。因みに、入館記念のエコバッグは妻の分とふたつもらいました。

22:55:56 よし! この勢いで恥を晒せ(笑)! 昔書いた『トトロ』と『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』に関する評論……というかエッセイ。→http://bit.ly/aPw00P

23:01:58 『マイマイ新子』には『マイライフ〜』にはあるけど『トトロ』にはない大人の世界を垣間みる視点とそれ故の痛ましさが描かれていると思う。これは自分が『マイマイ新子』という作品を好きになった理由の中でも大きなものだと思う。

ついったーまたおちた?2010年09月21日 21時51分44秒

ええと。脆弱性になにか悪さされた? 公式からログインするとよくないみたいなのでいったん抜けてます。

ぎしんあんき2010年09月11日 20時29分19秒

(twitterでもつぶやいた内容ですが…)

 9.11の後の趨勢を見るにつけ、『デビルマン』という物語が非常に普遍的であったことが思い知らされる。「デーモンの総攻撃」は1回だけやればよくて、あとはデーモンが表に出てこなくても疑心暗鬼にかられた人間は自滅していくんだよ。

ついったーおちた?2010年08月06日 07時25分52秒

 7時前くらいから落ちてる。
 因みに今朝の瞬間体重(笑)は63.0kg。

さいとこうしん・ほか2010年07月17日 08時10分14秒

 久しぶりに更新してみた。といってもニュージーランド旅行の写真だけだけど(笑)。

http://www.asahi-net.or.jp/~ug5k-tki/

つぶやきりれき2010年07月05日 07時40分07秒

 すっかりblog側が開店休業状態なので、twitterのつぶやき履歴を貼っておきます。

http://meyou.jp/k_takoi

 今週末はオヤジギャグやってました(笑)。主にアリエッティ(笑)。

はやぶさまとめつづき2010年06月14日 07時37分18秒

 まとめの続き。朝から泣いた。

技術者からはやぶさへの手紙。
http://hayabusa.jaxa.jp/message/message_042.html

擬人化マンガ(笑)。
http://drawr.net/show.php?id=1478887