空襲は永遠に(「地獄めぐり」としての『双生児』)2015年12月26日 09時52分19秒

 気がつくとほとんど週刊状態のプリースト『双生児』解析シリーズ。読んでない方にはわけのわからない話ですみません。

■「記憶」と「記録」
 通常の歴史改変SFは「歴史改変のポイント」で読者の知る歴史と別の出来事が起こり、そこから「風が吹けば桶屋がもうかる」式に変わってしまった歴史を経た世界が描かれる。
 『双生児』(特に第五部)においては、その「ポイント」が一見「チャーチルの停戦決定」であるかのように描かれている。
 物語の外枠にあたる「スチュワートの世界」においては、既存の歴史研究で「ジョー・L・ソウヤー」は以下のような存在とされてきた。

・チャーチルの停戦決定の過程に関与した(らしい)。
・和平交渉に参加、署名と写真を確認できる。
・目撃例は赤十字活動で英国国外で2回のみ。
・和平成立後の消息は不明。

 ジョーの存在は、文書や写真等の「記録」にのみ残るものの、それ以外はきれいにその存在が消失しているようである。

 この世界では、サム・レヴィの書簡からジャックは爆撃機の墜落で死んで、同乗者の中ではサムのみが生き残っている。
 ジャックについては死んだ後も、まだしもサムの「記憶」には残っているようだが、ジョーについては、どうやら誰の「記憶」にも残っていないのではないか?
 とりわけ、ジョーの息子であるはずのスチュワートが実父と思われる人物について、実母(ビルギット)や周辺の人物(養父ハリー)はジョーについて何も語らなかったのか?

 それについての一つの解釈だが(前回もちらっと触れたが)、ジョーが時間遡行で肉体ごと姿を消し、遡行した先で死亡したのか、別の歴史をたどった世界を生き延びていったのか、いずれにしても肉体存在として戻ってくることなく存在自体が消失したことで、時間SFではたまにみられる世界の自己修復機能で、存在自体が(過去まで遡って?)なかったことになっているのではないか?
 その場合、ジョーの存在が消えた後の世界では(その世界の人々の「記憶」の中では)、以下のように改変されていたのかもしれない。

・ジャックは双生児ではない?
・ビルギットは英国に脱出後、ジャックと結婚?
(サムの書簡でジャックがビルギットと結婚している、と語っていたのは浮気を隠すための偽装ではなく改変後の事実?)
・スチュワートの父親はジャック!?

 この場合、ジャックはスチュワートの誕生日に死亡しているので、夫を失ったビルギットは自然な流れとして、もともと懇意だった隣家のハリーと再婚して彼を育てた(ということになっている)のだろう。
(スチュワートとサムとのやりとりの中ではジャックとスチュワートの関係も語られない点には、なお違和感が残るが、そこはここでは措いておく)

 ただし、この世界の自己修復機能はどうやら人々の「記憶」には作用するが、文書や写真等、物理的に残ってしまったものにまでは及んでいないのではないか。ということで、誰一人その存在を「記憶」していないにも関わらず、「記録」の中にはジョーの存在の痕跡が残されてしまっているのが「スチュワートの世界」なのかもしれない。

■あしたのないジョー
 そういうことで、「スチュワートの世界」からは存在を抹消されてしまっているっぽいジョーだが、ジョー本人の主観ではその後をどう生きていったのか?

 前回考察したように、和平の実現した世界から拒絶されたように感じて、和平に関わることをやめてしまっていたなら、英独和平が不成立に終わった読者の知る歴史の世界で生きながらえたのかもしれない。
 あるいは、その後も和平の努力を続けたが、どうあがいても和平成立の世界に居続けることができず、セーブポイントである救急車に戻って無限ループに陥っているという可能性もある。

 よくよく考えてみると、せっかくビルギットと結婚したのに生活は苦しく、赤十字活動に没頭してビルギットはほったらかし、たまに家に帰ると自宅はグラットン親子にのっとられているか、ジャックがビルギットを訪ねてきたらしい痕跡をみつけるか、ジョーの私生活は荒廃する一方。
 しかも、そのことを自覚するような出来事に遭遇すると時間が戻ってしまうので、自分が成し遂げた和平成立の世界から離脱せざるを得ない、というループ構造になっているというあたりが、また底意地が悪い。

 いいことがあった、と思った次の瞬間にそれがひっくり返る、という絶望感は精神的にかなりきつい。そういった瞬間を選りすぐって追体験をループで繰り返す主人公の地獄めぐりを描いた短編にティプトリー「煙は永遠に(煙は永遠にたちのぼって)」のような作品がある。(ベスターの「地獄は永遠に」も同様のアイデア、構造と思われる)

 また、この第五部の読後感は、先日改訳復刊されたレムの『泰平ヨンの未来学会議』の読後感にも近いように思う。『〜未来学会議』は主人公に対して次々と作用してくる幻覚剤の効果で、さまざまな悪夢的な世界を体験するが、最後の数十行で複合的な幻覚がはがれて、物語の序盤に回帰するのだが、その世界は、未来学会議参加者たちが物語序盤で始まった爆撃を逃れて一時的に休息しているシチュエーションであり、そもそもハッピーなエンドではない。しかも、そこまでに描かれた幻覚の多層構造を考えると、悪夢的な現実から脱出し切れたとは思えず、時間ループではないものの、これも「地獄めぐり」的な物語構造であった。

 『双生児』においても、第五部が「ジョーの自筆ノート」で時間が戻った瞬間で終わってしまい、ジョー本人はけっして望む世界にたどり着けず、絶望の無限ループに陥っていることを示唆している点で、読後感は『〜未来学会議』に近いと感じた。

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