高い城の双生児(『双生児』の物語構造について) ― 2015年12月09日 08時00分05秒
謎の温泉読書会のためにプリースト『双生児』を精読した結果、見えてきたポイントがいくつかあるので備忘録的に。
基本的にはネタバレなので、『双生児』未読の方はご注意を。
まず、第一部から第五部までが属する世界を識別するための最低限の情報を列挙してみる。
■共通の出来事
・ジャックとジョー、ベルリン五輪で銅メダル。
・ジャックだけが祝賀会に出席。ルドルフ・ヘスと対面。
・二人でビルギットを脱出させる。
・ビルギット、ジョーと結婚。
・ジャック→軍へ。ジョー→赤十字へ。
・1940年5月。ジョー、暴行を受ける。
・ジョー。ロンドンで赤十字の活動。
・1940年8月。ジャック、ビルギットを訪ね始める。
■第一部・第三部・第四部=スチュワート・グラットンの世界
(第五部の一部を構成する歴史書、資料の一部を含む)
・ジャックの爆撃機の生存者はサム・レヴィのみ。
→1941年5月ジャック死亡。
・ジャックの爆撃機から目撃されたMe-110は十二時の方向(撃墜)と三時の方向(北へ)。
→ストックホルムにルドルフ・ヘス到着。
・英独戦争は1941年5月に講和成立。
・ジョーは英国国外の講和交渉の現場で2回だけ目撃されている。
・ユダヤ人はマダガスカルへ移住。
■第二部=ジャック・L・ソウヤーの世界
・アンジェラ・チッパートンが持参した「父親の手記」。
・1940年11月にジョー死亡の報。
・ジャックの爆撃機の生存者はジャックとサム・レヴィ。
・ジャックの爆撃機から目撃されたMe-110は三時の方向(撃墜)と九時の方向。
→英国にルドルフ・ヘス(影武者)到着。
・英独戦争は1941年5月に講和成立せず。
その後の戦争・歴史の進行は読者の知る通り。
■第五部=ジョー・L・ソウヤーの世界A
・サム・レヴィが収集した資料。
・「ジョーの自筆日記」等(ジュネーブ所蔵)。
・1940年11月にジョー死亡?
(アリシア・ウッドハーストの書簡より)
■第五部=ジョー・L・ソウヤーの世界B
・サム・レヴィが収集した資料。
・「ジョーの自筆ノート」等(マンチェスター所蔵)。
・ストックホルムにルドルフ・ヘス到着。
・ジャックの爆撃機の生存者はジャックともう1名(サム・レヴィ?)。
・英独戦争は1941年5月に講和成立。
■歴史改変のポイント
・ストックホルムでの英独の講和交渉の成立/不成立によってその後の歴史が分岐している。
・交渉の成否を決定づけるのは1941年5月10日にルドルフ・ヘスが交渉現場に到着できたか否か、であると思われる。
ヘスは複数のMe-110を準備し、影武者も用意しているが、本人と影武者のどちらのMe-110が生き残るかはランダム?
本人が生きてストックホルムにたどり着いた世界では講和が成立する。
・歴史改変に対するジョーの存在の影響としては、「和平交渉に乗り気でなかったチャーチルの説得」が挙げられる。
ただし、文庫解説の指摘にもあるように、ジョーの理想(妄想?)がすんなり達成されすぎるこのポイントの真偽には疑問も残る。ジョーの在/不在にかかわらず、ストックホルムの交渉が進められていたと考えることもできる。
・ジャックに至っては、その生死が歴史の改変にかかわる要因はない。
■物語の構造解析
・『双生児』を改変歴史ジャンルの古典『高い城の男』になぞらえるなら、外枠となっている世界は「読者の世界と異なる改変歴史」(スチュワートの世界)で、「読者の世界と共通の歴史」に属する「ジャックの手記」は『高い城の男』の世界における『蝗身重く横たわる』に相当する、というのがもっともシンプルな読み方かと思う。
・一方、一見同じ「読者の世界と異なる改変歴史」に属すると思われる「スチュワートの世界」「ジョーの自筆日記」「ジョーの自筆ノート」の内容に齟齬があるため、外枠であるべき世界も(プリーストらしく)揺らいでいる、というのが、もう一つの読み方になるかと思う。
・しかし、ジョーの物語を前半と後半に切り分けてみると、実はジュネーブに所蔵されている(赤十字の収集資料?)「ジョーの自筆日記」の内容は、実はほとんどがどちらの歴史世界でも共通して起こっている事象で構成されていることがわかる。
・時系列的に「ジョーの自筆ノート」に移行する手前にビルギットの「ジョーが生きていた」という手紙とアリシアの「ジョーが死んだ(ことをほのめかす)」手紙が挟まることで撹乱されているきらいはあるが、ここでジョーが死んでいると解釈した場合、ここまでは「スチュワートの世界」に属していても大きな矛盾は生じない。
・ジュネーブの資料による「ジョーの世界A」までが「スチュワートの世界」と地続き、と解釈するなら、その世界においてはジャックもジョーも公式には死んでいる。
『双生児』において、外枠を設定するとするなら、これが最も確からしいのではないか、と推察される。
・それでは、残る「ジョーの世界B」は何か? 講和交渉の過程が「スチュワートの世界」と重なる点があるため、その点には解釈の自由度は残るが、この「ジョーの世界B」ではジョー本人もさることながら、ジャックも生き残っていることになっている。つまり、この世界は「スチュワートの世界」とはつながってはいないことになる。
・「ジョーの世界B」を記述している「ジョーの自筆ノート」の講和交渉の経過が事実だとすれば、赤十字の重要資料のはずであるが、これがジュネーブではなく、マンチェスターにあった、という点、また、その内容があまりにも虚妄入り乱れるものである点を考えると、これは、この世界におけるもう一つの『蝗身重く横たわる』に相当する文書と考えられないだろうか。
・ここで、第五部を構成する文書、資料は「スチュワートの世界」のサム・レヴィがインターネットで収集しており、それを(親切にも?)時系列に並べてある、という点に注意しよう。
その中には、第一部にも書名が登場している「スチュワートの世界」で広く読まれている歴史研究書籍も複数登場する。これらの記述内容は「スチュワートの世界」に属していると解釈してよいと思われる。
読者がこの時系列の物語を『ひとまとまりの「ジョーの世界」』として、ジョーの視点から読めるように構成されている点がトリックであり、実はその中にもう一つの「偽書」? 〜一見「スチュワートの世界」の歴史につながるようでいて、実はもう一つの改変歴史かもしれない〜が内包されている、と解釈できるのではないか。
■構造解析を逸脱したポイントについて
・こうして解析してみると、『双生児』の全体に破綻しまくった物語の中でも、基本構造は意外と用意周到に組み上げられているように思われる。
・一方で、さらに意図的に解釈の自由度というか、破綻を仕組んだポイントを散りばめることで、プリーストらしいどこにも着地しない小説が仕上がっている。
これらのポイントも、他の作品(『魔法』や『夢幻諸島から』など)と共通するプリーストの基本テーマや創作姿勢で解釈できるように考えているが、今回は以下に列挙するにとどめておく。
・冒頭で「スチュワートの世界」と「アンジェラ・チッパートンの世界」が交錯して「ジャックの手記」がもたらされるのはなぜか?
・アンジェラは「旧姓ソウヤー」と名乗るが、持参された手記の中ではビルギットは早々にハリーと再婚しており、手記に登場する娘はアンジェラ・グラットンなのでは?
・アンジェラの言葉を信用するなら、ジャックはスチュワートの著書を読んでいる?
・「ジャックの手記」の中に複数回出てくる爆撃機内の描写が毎回微妙に違っているのはなぜか?
・ジャックを転院させる救急車に唐突にケン・ウィルスン(第五部ではジョーを移送していた隊員)が同乗しているのはなぜか?
・「スチュワートの世界」において、講和交渉の現場でのみジョーが目撃されており、書類へのサイン、記念写真まで残っているのはなぜか?
基本的にはネタバレなので、『双生児』未読の方はご注意を。
まず、第一部から第五部までが属する世界を識別するための最低限の情報を列挙してみる。
■共通の出来事
・ジャックとジョー、ベルリン五輪で銅メダル。
・ジャックだけが祝賀会に出席。ルドルフ・ヘスと対面。
・二人でビルギットを脱出させる。
・ビルギット、ジョーと結婚。
・ジャック→軍へ。ジョー→赤十字へ。
・1940年5月。ジョー、暴行を受ける。
・ジョー。ロンドンで赤十字の活動。
・1940年8月。ジャック、ビルギットを訪ね始める。
■第一部・第三部・第四部=スチュワート・グラットンの世界
(第五部の一部を構成する歴史書、資料の一部を含む)
・ジャックの爆撃機の生存者はサム・レヴィのみ。
→1941年5月ジャック死亡。
・ジャックの爆撃機から目撃されたMe-110は十二時の方向(撃墜)と三時の方向(北へ)。
→ストックホルムにルドルフ・ヘス到着。
・英独戦争は1941年5月に講和成立。
・ジョーは英国国外の講和交渉の現場で2回だけ目撃されている。
・ユダヤ人はマダガスカルへ移住。
■第二部=ジャック・L・ソウヤーの世界
・アンジェラ・チッパートンが持参した「父親の手記」。
・1940年11月にジョー死亡の報。
・ジャックの爆撃機の生存者はジャックとサム・レヴィ。
・ジャックの爆撃機から目撃されたMe-110は三時の方向(撃墜)と九時の方向。
→英国にルドルフ・ヘス(影武者)到着。
・英独戦争は1941年5月に講和成立せず。
その後の戦争・歴史の進行は読者の知る通り。
■第五部=ジョー・L・ソウヤーの世界A
・サム・レヴィが収集した資料。
・「ジョーの自筆日記」等(ジュネーブ所蔵)。
・1940年11月にジョー死亡?
(アリシア・ウッドハーストの書簡より)
■第五部=ジョー・L・ソウヤーの世界B
・サム・レヴィが収集した資料。
・「ジョーの自筆ノート」等(マンチェスター所蔵)。
・ストックホルムにルドルフ・ヘス到着。
・ジャックの爆撃機の生存者はジャックともう1名(サム・レヴィ?)。
・英独戦争は1941年5月に講和成立。
■歴史改変のポイント
・ストックホルムでの英独の講和交渉の成立/不成立によってその後の歴史が分岐している。
・交渉の成否を決定づけるのは1941年5月10日にルドルフ・ヘスが交渉現場に到着できたか否か、であると思われる。
ヘスは複数のMe-110を準備し、影武者も用意しているが、本人と影武者のどちらのMe-110が生き残るかはランダム?
本人が生きてストックホルムにたどり着いた世界では講和が成立する。
・歴史改変に対するジョーの存在の影響としては、「和平交渉に乗り気でなかったチャーチルの説得」が挙げられる。
ただし、文庫解説の指摘にもあるように、ジョーの理想(妄想?)がすんなり達成されすぎるこのポイントの真偽には疑問も残る。ジョーの在/不在にかかわらず、ストックホルムの交渉が進められていたと考えることもできる。
・ジャックに至っては、その生死が歴史の改変にかかわる要因はない。
■物語の構造解析
・『双生児』を改変歴史ジャンルの古典『高い城の男』になぞらえるなら、外枠となっている世界は「読者の世界と異なる改変歴史」(スチュワートの世界)で、「読者の世界と共通の歴史」に属する「ジャックの手記」は『高い城の男』の世界における『蝗身重く横たわる』に相当する、というのがもっともシンプルな読み方かと思う。
・一方、一見同じ「読者の世界と異なる改変歴史」に属すると思われる「スチュワートの世界」「ジョーの自筆日記」「ジョーの自筆ノート」の内容に齟齬があるため、外枠であるべき世界も(プリーストらしく)揺らいでいる、というのが、もう一つの読み方になるかと思う。
・しかし、ジョーの物語を前半と後半に切り分けてみると、実はジュネーブに所蔵されている(赤十字の収集資料?)「ジョーの自筆日記」の内容は、実はほとんどがどちらの歴史世界でも共通して起こっている事象で構成されていることがわかる。
・時系列的に「ジョーの自筆ノート」に移行する手前にビルギットの「ジョーが生きていた」という手紙とアリシアの「ジョーが死んだ(ことをほのめかす)」手紙が挟まることで撹乱されているきらいはあるが、ここでジョーが死んでいると解釈した場合、ここまでは「スチュワートの世界」に属していても大きな矛盾は生じない。
・ジュネーブの資料による「ジョーの世界A」までが「スチュワートの世界」と地続き、と解釈するなら、その世界においてはジャックもジョーも公式には死んでいる。
『双生児』において、外枠を設定するとするなら、これが最も確からしいのではないか、と推察される。
・それでは、残る「ジョーの世界B」は何か? 講和交渉の過程が「スチュワートの世界」と重なる点があるため、その点には解釈の自由度は残るが、この「ジョーの世界B」ではジョー本人もさることながら、ジャックも生き残っていることになっている。つまり、この世界は「スチュワートの世界」とはつながってはいないことになる。
・「ジョーの世界B」を記述している「ジョーの自筆ノート」の講和交渉の経過が事実だとすれば、赤十字の重要資料のはずであるが、これがジュネーブではなく、マンチェスターにあった、という点、また、その内容があまりにも虚妄入り乱れるものである点を考えると、これは、この世界におけるもう一つの『蝗身重く横たわる』に相当する文書と考えられないだろうか。
・ここで、第五部を構成する文書、資料は「スチュワートの世界」のサム・レヴィがインターネットで収集しており、それを(親切にも?)時系列に並べてある、という点に注意しよう。
その中には、第一部にも書名が登場している「スチュワートの世界」で広く読まれている歴史研究書籍も複数登場する。これらの記述内容は「スチュワートの世界」に属していると解釈してよいと思われる。
読者がこの時系列の物語を『ひとまとまりの「ジョーの世界」』として、ジョーの視点から読めるように構成されている点がトリックであり、実はその中にもう一つの「偽書」? 〜一見「スチュワートの世界」の歴史につながるようでいて、実はもう一つの改変歴史かもしれない〜が内包されている、と解釈できるのではないか。
■構造解析を逸脱したポイントについて
・こうして解析してみると、『双生児』の全体に破綻しまくった物語の中でも、基本構造は意外と用意周到に組み上げられているように思われる。
・一方で、さらに意図的に解釈の自由度というか、破綻を仕組んだポイントを散りばめることで、プリーストらしいどこにも着地しない小説が仕上がっている。
これらのポイントも、他の作品(『魔法』や『夢幻諸島から』など)と共通するプリーストの基本テーマや創作姿勢で解釈できるように考えているが、今回は以下に列挙するにとどめておく。
・冒頭で「スチュワートの世界」と「アンジェラ・チッパートンの世界」が交錯して「ジャックの手記」がもたらされるのはなぜか?
・アンジェラは「旧姓ソウヤー」と名乗るが、持参された手記の中ではビルギットは早々にハリーと再婚しており、手記に登場する娘はアンジェラ・グラットンなのでは?
・アンジェラの言葉を信用するなら、ジャックはスチュワートの著書を読んでいる?
・「ジャックの手記」の中に複数回出てくる爆撃機内の描写が毎回微妙に違っているのはなぜか?
・ジャックを転院させる救急車に唐突にケン・ウィルスン(第五部ではジョーを移送していた隊員)が同乗しているのはなぜか?
・「スチュワートの世界」において、講和交渉の現場でのみジョーが目撃されており、書類へのサイン、記念写真まで残っているのはなぜか?
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