『時をかけるジョー』あらすじ2016年01月06日 05時04分50秒

 いっけな〜い、空襲、空襲!! あたし、赤十字職員のジョー、ある日、救急車の中で目を覚ましたら世界が一変! うっかりすると時間が戻っちゃうし、子供が生まれそうなのに家にはちっとも帰れないし、ヘスとチャーチルはなぜかあたしを巡って三角関係! あたし、これから一体どうなっちゃうの〜!?

※『双生児』解析、ジョーの物語についてはひと段落の感があるので、流行りものに乗ってちょっと小ネタを(笑)。わりあい間違っていない気もする(笑)。

双生児の魔法(『双生児』における「記憶」と「現実」)2016年01月06日 19時15分53秒

 正月に実家の本棚からプリースト『伝授者』を発掘して読んでみた。内容を完璧に忘れ切っていたのだが、謎の収容所におけるニューウェーブ的不条理劇から始まって、その割に後半はけっこうストレートな終末テーマの時間SFになるという構成で、なかなか楽しめた。ラスト1ページで取り返しのつかない絶望感が表現されるあたりのスリリングさは、実は前回指摘した第五部のラストにもちょっと通じるものがあるかもしれない。
 とはいったものの、『伝授者』を時間SFの観点からみると、「過去改変は可能か?」という古典的なモチーフを扱ったものであり、アイデアに一貫性があって全ての謎がちゃんと解かれ、世界も確固たる存在で揺らいではいない。
 まだ作風が確立される前の処女長編、ということもあるが、文庫解説によるとプリースト本人は物語前半に相当する、ベースになったニューウェーブ短編が気に入っていたらしく、長編化の際に全ての謎を解いてしまったのが残念だった、みたいなコメントをしていたとか(笑)。

 さておき、『双生児』である。
 前回は特に外枠である「スチュワートの世界」において、人々の「記憶」が改変されている可能性を指摘してみた。

 プリーストの代表作といえる『魔法』においては、記憶喪失になった主人公が、本人が取り戻した「記憶」によって「現実」を認識するものの、その「現実」は、実は「記憶」の上書きによって別の「現実」となりうる不安定なものであった。
 そのことを想起するならば、『双生児』においても、ジャック、ジョーがいずれも「一時的な記憶の錯乱」を経ていることが、『双生児』の現実の揺らぎを解釈する重要なヒントになると考えられる。

■もう一つの『魔法』?
 これまで、主にジョーの物語を中心に解析を重ねてきたが、波乱万丈で世界が揺らぎまくるジョーの物語と比べると、一人の空軍パイロットの経験した第二次大戦秘話(と一人の女性をめぐる双生児の三角関係)、といった趣きのジャックの物語は一見地味ではある。
 おそらく、初読であれば『高い城の男』作中の「蝗身重く横たわる」に相当する「読者の知る歴史に沿った小説内小説」という位置づけでさらっと読めてしまうと思われる。

 しかし、このジャックの物語の中にも、微妙な違和感を感じさせる箇所がある。特に大きなものは以下の二つである。

1:カットバック的な物語構成の中で、徐々にディティールが付加されて何度も語り直される「撃墜される爆撃機機内での会話」の内容が、実は毎回違っている。

2:病院から療養施設に移送される救急車の描写の中に、第五部でジョーが搬送されている際の描写が混線?している。

 1については、会話の内容を吟味してみると、実は撃墜時に同乗した乗組員の誰がどういう被害を受けたかがそれぞれに異なっているように見受けられる。
 ということは、これらの描写は、実は各々異なる「現実」(並行世界?)に属している、という可能性がある。

 ここで、これらの「記憶」を「思い出し」ているジャックが、撃墜時の負傷で一度「記憶」が錯乱(記憶喪失)していることを考えるならば、この物語は実はもう一つの『魔法』なのではないか、という仮説を考えることができる。
 ただし、『魔法』と異なり、ジャックが記述している「記憶」=「現実」が、多少の差異はありつつも、一見したところでは一貫性がある(同じ歴史に属する)ため、このポイントが目立ちにくいのであろう。

■シュレディンガーの記憶!?
 プリースト作品においては、記憶喪失の登場人物が「記憶」を「思い出す」時、そこで「現実」が確定しているように見受けられる。
 逆にいえば、「思い出す」までは記憶は確定していない、ということで、記憶喪失者の意識は一種のシュレディンガーの猫のようなものなのかもしれない。
 一度「観測」=「思い出す」ことでそのまま確定したままなら話は単純だが、この「不確定」な意識の状態は、記憶喪失者の中ではそのまま継続しているのではないか。そう解釈するなら、「思い出す」たびに「記憶」の内容が異なる、という状態を少しは説明しうるように思われる。
 それでは、思い出される方の「記憶」はどこからやってくるのか? 『双生児』が改変歴史SFであることを考慮するなら、これは多世界解釈というか、無数の分岐から派生した少しずつ異なる並行世界での出来事が反映されている、と考えたいところである。
 記憶喪失になったジャックは、並行世界にまたがる「記憶」=「現実」の器となり、「思い出す」たびに、複数の「現実」を都度「観測」しているのかもしれない。
 そして以下はさらに拡大解釈となるが、2のような「記憶」の混線についても、一卵性双生児の肉体、頭脳が器として非常に似通っているため、「救急車」という共通の記憶のフックが与えられた際に、ジョーの側の記憶が「観測」されてしまったのかもしれない。

 このように考えてみると、当人は歴史の分岐点に関与することなく、身の回りでも不思議な現象は起こらない、一見平凡な世界に暮らしたかのように描かれたジャックもまた、複数の「現実」の揺らぎの中で、その後の生涯を過ごしていったのかもしれない。

2015年12月に読んだ本2016年01月17日 07時59分17秒

 師走だから、という訳では全然ないんだけど、12月はちょっと少なめ。まあ、『双生児』ネタで頭の中がぐるぐる回っていたけど(笑)。

■おのみさ『からだに「いいこと」たくさん 麹のレシピ』 池田書店
 昨今、怪しげな「酵素栄養学」がはばをきかせつつある。言説としてはもともとあったかもしれないのだが、流布が進んでしまったのはちょっと前の「塩麹」ブームあたりのように思う。当時、塩麹を礼賛する本の中のあまりにもでたらめな記述を読んで頭がくらくらしたものだが…
 なのではあるが、塩麹ブームの先駆け的な本書はしっかりした麹菌研究者の助言とやや専門的な参考文献(麹菌研究、酵素化学の大家である我が恩師の著書も引用されていた)をきちんと読みこなした上で、生化学的にも微生物学的にも酵素化学的にも正しい知識を平易に解説してくれている。
 こういう良貨といえる本が、雨後の筍のような悪貨に駆逐されないといいのだが…

■ジーン・ウルフ『ジーン・ウルフの記念日の本』 国書刊行会
 ジーン・ウルフのSF短編を集めた短編集なのだが、それぞれの短編を何らかの記念日に当てはめる短編集としての趣向が、独立した短編として読む場合以上に各短編の味わいも増していると思う。
 ジーン・ウルフが技巧を凝らしすぎた長編の読み応えがあり過ぎると思う向きには、適度な技巧で楽しめるSF短編をバラエティ豊かに楽しめる、こういう短編集はよいのではないか。
 個人的には〈戦没将兵追悼記念日〉にあてた「私はいかにして第二次世界大戦に破れ、それがドイツの侵攻を防ぐのに役立ったか」がベストかも。交通渋滞、トランジスタ、世界大戦、なんて三題噺が成立するとは(笑)! こういうひねくれたアイデアSFは実にいいなあ。あと、収録作の中では〈ホームカミング・デイ〉にあてた「取り替え子」がつじつまが合いそうで合わない不安感がいかにもジーン・ウルフという感じ。

■森薫『乙嫁語り』8巻 KADOKAWA/エンターブレイン ビームコミックス
 前巻の百合話の続きが1話。動物フェチの番外編。その後はパリヤの花嫁修業奮闘記、ということで、前巻のしっとりした雰囲気から一気に微笑ま初々しいラブコメモードに。それにしてもペンタッチがさらにとぎすまれているなあ。

■円城塔『これはペンです』 新潮文庫
 「叔父は文字だ」という親父ギャグ?的な発想から、いかにも円城塔らしい不思議に哲学的な考察がたたみかけてくる「これはペンです」と、超記憶力を持ちあらゆることを忘れることができない人物が獲得していく独自の現実知覚をシミュレートした「良い夜を持っている」がペアとなった一冊。
 解説でも指摘されていたけど、メタフィクション、小説そのものについての小説、という中にほのかな叙情が感じられるのがいいなあ。なぜこの文字列から自分が叙情を読み取るのか、という疑問を感じる読者、という構図にまで思い至ると、してやられたりの感。

『空をかけるジャック』あらすじ2016年01月24日 07時47分57秒

 いっけな〜い、敵襲、敵襲!! あたし、空軍パイロットのジャック、ある日、撃墜されて病院で目を覚ましたら記憶喪失!? 自分のこともちゃんと思い出せてないのにチャーチルはヘスを調べろっていうし、ビルギットはいつの間にか他の男と暮らしてるし、あたし、これから一体どうなっちゃうの〜!?

※せっかくなので、あらすじもジョーと対にしてみようと思ったけど、もとのストーリーが普通なのでなんだか普通ですね…

ジャック・L・ソウヤーの驚愕(並行世界の『双生児』)2016年01月31日 23時24分56秒

 『双生児』解析シリーズの最初に、「改変歴史SF」としての構造を切り分けた際に、「改変歴史SF」としては解釈できない謎をいくつかあげておいた。
 その中でも、ジョーに関する謎は、既にまとめた通り、「時間SF」の切り口から解釈し得ると考えている。こちらは、実はジョーの自筆日記、自筆ノートの中に散りばめられた膨大なヒントをわりと素直に解釈したものともいえる。
(もちろん、プリースト作品であるので、ジョーがそもそも「信頼できない語り/騙り手」である可能性は否定するものではない(笑))
 一方、自筆の手記の内容自体は一見あまり入り組んでいないジャックだが、解釈しきれない謎ポイントはむしろジョーより多いくらいである。
 前回、ジャックの手記の中の不整合ポイントをキーとして、ジャックがジョーとは別の形で「時間(多世界)」にかかわる特殊能力を発現していた可能性を考察してみた。
 さらに残る謎ポイントのひとつとして、『双生児』の冒頭では、アンジェラの父(ジャック)はスチュワートの著書を読んでいる、とされている。
 手記を読む限りにおいては、執筆したジャックは我々の知る歴史の世界に属すると解釈されるが、分岐してしまった、別の歴史を歩む世界に属する書物を、どうやって読んだのか。

■異次元を覗く人
 前回、ジャックが、一見、我々の知る歴史の世界で平凡に生きていったかに見えて、実は微妙に異なる並行世界をランダムに「観測」し得る存在だったのではないか、という仮説を提案してみた。
 その仮説に沿うなら、ジャックが「観測」できたのは、本人の手記にあった「我々の知る歴史の世界」だけだったろうか。
 実は、分岐したもう一つの歴史に属する世界をも「観測」できていたのではないか。

 分岐した筈の多世界を「記憶」として「観測」出来るとするなら、その人物は、実質的に、多世界の全てを「思い出し」得る。と、考えると、「英独講和が成立した時間軸で生きて、スチュワートの著書を読んだジャック」の「記憶」を「思い出した」のかもしれない。
(前述の通り、『双生児』の外枠に相当する「スチュワートの世界」においてはジャックは死んでいるが、無限の分岐可能性を「観測」できる、と考えるなら、この解釈は可能であろう)

 さらに考えてみると、ジャックの「能力?」は単に並行世界を「記憶」として思い出すだけなのか? 思い出した「記憶」がジャックの認識する「現実」そのものであるとするなら、その「記憶」を思い出している=「現実」として認識している時、ジャック本人の意識はその「記憶」の属する並行世界に属している、と考えることもできるかもしれない。
 単に「本を読んだ記憶」を思い出しているというより、ジャックの意識が「スチュワートの世界」を認識している間は、その世界に属する書物を読むことも可能、という解釈もできるのではないか。
 仮にそうだとすると、ジャックの能力は多世界をランダムに移動する能力といってもよく、ジョーの中途半端な時間遡行より実はすごい能力といえるかもしれない。(もっとも、ジャックのこの「能力?」も自分でコントロールできるものではなさそうだが…)

■アンジェラ・ソウヤーの分裂(セパレーション)
 それでは、「父親(ジャック)がステュワートの著書を読んでいた」と語るアンジェラは、なぜ異なる時間軸に属するスチュワート〜歴史の分岐によって分裂したと思われる自分に相当する人物〜の前に現れることができたのか?
 『双生児』冒頭では、アンジェラ本人も、父親が読んでいるスチュワートの著書の内容は知っていそうな口ぶりであった。とするなら、自分の属する歴史と異なる歴史が記述されていることも承知の上であり、さらにはスチュワートの出自についても、アンジェラの方は知っていたのではないか?
 アンジェラがそのように『双生児』の物語の中で世界の構造をもっとも把握している人物であるのなら、アンジェラにも父親譲りの並行世界移動能力があり、なおかつ、その能力を自分の意志でコントロールできているのかもしれない。
 仮にアンジェラがそこまでの能力を行使できるとするなら、別の時間軸に存在するジャックと関わりを持ちうることになるため、実は前節で考察したように「手記を書いたジャック」と「スチュワートの著書を読んでいるジャック」が同一人物である必要もなくなってしまうのではないか。
 アンジェラは『双生児』作中において、最も信頼できない食わせ者と言えるかもしれない。