【ネタバレあり】右手が描く物語(『この世界の片隅に』)2016年11月27日 10時32分26秒

 原作『この世界の片隅に』を読んだ後、妻から「結局、あのばけもんってなんだったの?」という素朴な質問を投げかけられた。自分も結論めいたものは持っていなかったので、その場はそのままになってしまったが、映画鑑賞後に目にしたあるツイートをきっかけに、少し考察が自分の中で深まった感じがするので、頭の整理も兼ねて文章にしてみたい。
 なお、本論考は主に『この世界の片隅に』原作に関する解釈であることから、基本的に原作、映画の双方についてネタバレ前提なのでその点はご注意いただきたい。

◼︎「ばけもん」がしたこと。
 物語中、「ばけもん」が姿を表すのは以下の2ヶ所だけである。

1:冬の記憶
・周作少年をさらって背負ったカゴに入れていた。
・幼いすずさんに声をかけ、同じくカゴに入れる。
・すずさんの(子供らしい)機転で、相生橋の上で眠らされる。

2:人待ちの街
・相生橋の上で周作とすずさんと再会?する。

 特に、物語終盤、映画予告編のキーフレーズでもあり、作品タイトルの含意そのものでもあるすずさんの台詞「ありがとう。この世界の片隅に、うちを見つけてくれて」の後に登場するのがいかにも思わせぶりなのだが、よく考えるまでもなく、呉に住む周作少年と江波に住むすずさんの接点はこの一件の他になく、周作が「この世界の片隅に」すずさんを見つけることができ、わざわざ名前だけを頼りにすずさんを探して求婚したということも、この事件が、少なくともこの二人にとっては「現実にあったこと」だったことを示しているだろう。

 映画『この世界の片隅に』公式アートブック、公式ガイドブック等での片渕監督の談話としては、過去にあった二人の実際の出会いが、すずさんの中ではそのような物語になっていたのだろう、との解釈を示している。
 映画では、原作にはあったすずさんのモノローグ「でも海苔が一枚足りなくて翌日父が大慌てでおわびに行ったのも確かなのだ」がなくなっており、また、原作とは異なる演出として、序盤の「冬の記憶」が半ばすずさんが絵を描きながら妹のすみちゃんに語る物語として演出されることで、映画においてはその物語の架空性がより強調されているとも解釈できる。

 物語中、すずさんは周作があの時の少年であることには気がついておらず、周作の口からも具体的な出会いが語られることはない。
 少女マンガ的観点からすると典型的な「あの時の男の子」なのだが、ヒロイン側がそのことを忘れ切っているのはいかにも「ぼーっとした」すずさんらしい(笑)。
 一方、周作の方は4つ年上でもあり、記憶もしっかりあったのだろうが、記憶にあるあの事件をどの程度現実のことだと思っていたのだろうか。名前を頼りにすずさんを探した訳だが、見つからなかったら「やっぱり夢のようなものだったのかも」と思ったりしたかもしれない。

◼︎「ばけもん」の正体は?
 物語の序盤では、この「ばけもん」、座敷童、と、空想上の存在が登場する。
 このうち、座敷童の正体が、すずさんが後に呉の遊郭で出会うリンであることは、読者/観客にはわかるようになっている。(特に映画版では、よりわかりやすく演出されていると思う)
 座敷童が実在の少女リンであったのであれば、バケモノの方も、何らかの実在があるはずではないのか。ないのであれば、(上述の通り)そもそも二人が出会い、結婚することもなかったはずなのだから。
 しかし、物語の終盤においては、この「ばけもん」は「すずさんの失われた右手」が描いた、「南方の島で暴れまくり、ついにはワニと結婚!してしまったすずさんの鬼イチャン」が現実に姿を現したかのような描かれ方をしている。もともと空想の存在が、さらに空想の産物と紐付けられているのだ。

 この点の描き方は原作と映画で異なる。原作では相生橋の上で、すずさんは周作と間違えて「ばけもん」の毛むくじゃらの手に触れてしまう、すなわち、手で触われる実体があるのだが、映画では、「ばけもん」は二人の後ろを通り過ぎるだけであり、さらに、背負ったカゴの中からワニの奥さんが顔を覗かせたりしており、実体があるのかどうか疑わしい描かれ方となっている。これは、先に指摘した「冬の記憶」の映画版演出と方向性は同じで、より「ばけもん」の架空性を強調していると考えることができるだろう。

 さて、「ばけもん」の実体の有無はいったん措くこととして、もし仮に、この「ばけもん」が同じ存在であるとするなら、すずさんの兄がまだ子供であった、南方に出征する以前の「冬の記憶」の時期に存在するはずはない。
 「ばけもん」の架空性を強調した映画版の解釈をとるなら、この「ばけもん」はすずさんの心の中の空想が生み出したものであり、すずさんがすみちゃんに語る絵物語の中の一種のスターキャラクターのようなものと考えることもできるだろう。そのような解釈なら、上記のような矛盾は考えるだけ野暮だろう。
 一方で、海苔は実際に一枚減っており、「ばけもん」の手に触れることもできた原作からはどういう解釈が成り立つだろうか。

◼︎右手が描く物語
 原作においては、すずさんの右手は物語中、時折、神の視点を持ったり、現実に干渉したりしているように見受けられる。それらは、こうの史代先生の実験的マンガ手法として語られることは多いが、なぜその手法で描かれているのか、から、物語の中での解釈を行なうことも出来るのではないか。

 もっとも顕著なのは、右手のモノローグとして語られる最終回で、ここでは、右手がすずさんと孤児を引き合わせたかのような描かれ方をしている。
 リンの来歴が明らかとなる「りんどうの秘密」においても、リンの生い立ちは「右手が口紅で描いた物語」という形で提示される。リン本人が自らの生い立ちをすずさんに語ったとは思われないので、ここでも右手はすずさんの知り得ないことを知っている、一種の神の視点から物語を語っている。

 さて、この論考のきっかけとなったある方のツイートは、要約するなら概ね以下のようなものであった。

・すずさんは「信頼できない語り手」であり、この物語が物語中の事実を反映しているとは限らない。
・この物語は右手を失った母親の死ぬ間際の夢のようなものかもしれない。

 映画は「すずさんが本当にいたように感じさせる」ことに主眼を置いており、すでに述べてきたような、「ばけもん」の架空性の強調はその方針からなされているものと思われるが、確かに、原作ベースで考えるなら、上記の解釈もあながち否定できないように思う。

 さらにいうなら、原作においては、物語全体の語り手がすずさんの右手と解釈してもよいような構造になっている。「物語の語り手」であるなら、一種の神の視点を持っていることも容易に首肯できるだろう。
 その解釈を採るなら、「右手が描く物語」はすずさんにとっての現実に干渉しうる、ということにならないだろうか。実際、原作の最終回は右手がモノローグを語りながら、広島の母娘を描き出し、すずさんと引き会わせる、という趣向となっている。

 この「失われた後に右手が描いたもの」(すずさん本人は知り得ないこと)は、「右手が描くことによって初めて物語中に出現した」と考えることはできないだろうか。そう考えるなら、原作の終盤で右手が描き出しているのはすずさんが引きとる孤児だけでなく、マンガ「鬼イチャン」では「ばけもん」、さらには「りんどうの秘密」におけるリンも該当していることに気がつかされる。
 シュレディンガーの猫の解釈で、こんな話を聞いたことがある。蓋を開けるまでは生きているか死んでいるかが確定していない猫が、死んでいたとした場合、それはいつ死んだことになるのか? 死体を調べて死亡推定時刻がわかるなら、その時にはもう死んでいたことになるんじゃないのか? いや、そうではなく、蓋を開けて猫が死んでいることが「観測」された時に、死亡推定時刻も含めてその猫の死が「確定」するのだ、という考え方である。
 原作終盤で右手が行なっているのはそれに近いことではなかろうか。すなわち、「ばけもん」や「リン」や「孤児」を、その背景設定込みで物語の中に現出させている、と考えるなら、先に指摘したような時系列の矛盾は考えなくてよいことになるだろう。

 そう思って、原作の目次を見返してみると、終盤で右手が語り始める「りんどうの秘密」から最終回までは、回ごとの副題が(それまでの年・月ではなく)あることに改めて気付かされる。
 原作の冒頭の目次に立ち返れば、「ばけもん」「リン」の登場するエピソードを含め、副題がある。もちろん、連載に先立って発表された短編だから、という現実的な理由もあるものの、単に年月で示されるエピソード群が、独立した副題のあるエピソード群で挟まれているという物語の全体構造は意味深である。

 さて、この解釈を採るとした場合、右手がしたことはすずさんにとっての「出会い」という共通項があることにも気づく。「ばけもん」は周作がすずさんをみつけるきっかけを作り、「リン」は一人で呉に嫁入りしたすずさんの友人となり、「孤児」はすずさんの娘となる。右手は、失われた後に、「語り手」としての力を使い、すずさんに伴侶と友人と娘を与えてくれたのかもしれない。

 そこまで考えてしまうと、右手はいつ失われたのか、も隠されたポイントと解釈できるかもしれない。すずさんが呉に嫁入りすることさえも、失われた後の右手の采配と考えることができるので、先に紹介したつぶやきで指摘されていた通り、右手が失われたのは、実は広島での出来事なのかもしれない。
 広島に嫁入りし、夫を失い、自らも死んでいくしかなかった「もう一人のすずさん」の右手が、呉に嫁入りし、夫も失わない「もう一人の自分」の物語を描き出した。しかし、語り直された物語の中でも、呉での生活には激しい空襲が繰り返されるし、右手が「語り手」として物語を再構築する力が「失われた」がために発揮されているのだとすると、「語り手」である右手は呉での物語の中でも最終的には失われなくてはならない。むしろ、失われることによって、広島での物語を語ることができ、最後の娘とのめぐりあわせが完結する。
 …一種のループ構造だろうか。ちょっとこわい考えになってしまったかもしれない。

 これは、あまりそこまでは考察したくなかった類いの悲しい解釈とも言えるのだが、この考察では、すずさんが呉では恵まれなかった、別の時間軸?での娘と時空を超えて(!?)めぐり会うことができた、と考えることも出来るのが救いになるようには思う。

■最後に
 こういったメタ解釈は、SFファン、幻想文学ファンの習い性のようなものともいえるが、ちょっと前までこのblogで続けていたプリースト『双生児』解析でいろいろと考察していた癖がまだつづいているかもしれない。
 逆に言えば、原作『この世界の片隅に』がどれほど多層的な要素を持っているか、ということでもある。当時の風俗、生活、史実を徹底的に調べ尽くした生活マンガでもあり、妖怪的な存在が共存する民俗的な側面も持ち、唐沢なをきとタメを張れる実験マンガでもあり、今回考察したような幻想文学、SF的な考察の余地まである。一コマ一コマに何らかの仕掛け、仕込みがあり、何度読んでも新しい発見がある。あらためて、恐るべき作品であることを実感している。これからも、折に触れては読み返すことになりそうである。

 一方で、片渕監督はおそらく原作のもつある種のメタ構造にはもともと気付かれており、既に述べてきた通り、映画版における物語構造からは、そう言った要素を極力排除していると思う。物語終盤、絵コンテ段階ではあった「右手」の語りかけが、完成した映画ではなくなっている点からも共通の意図を読み取ることができるだろう。
 映画版については、まさにそこにいるかのように身近なすずさんの存在感をあますところなく味わうことにしたい。

2016年10月に読んだ本2016年11月03日 22時10分53秒

 10月は出張やら観劇やら観劇やら鑑賞やら鑑賞やらいろいろあり、月間個体移動距離もすごいことに。そんなこんなで活字分はやや少なめかも。

■たかみち『LO画集2-A -TAKAMICHI LOOP WORKS- (FLOW COMICS)』 茜新社
 読了(2016-10-04) ☆☆☆☆★

 忘れた頃に出た、デジタル世代のおおた慶文といえるかもしれない美少女イラストレーターたかみちの手になる、LO画集の第二弾。
 やはり継続は力と言うべきか、イラストもコピーもレイアウトも第一弾より研ぎすまさされている感じがする。まずイラストを観る。制作裏話と対照させながら1枚1枚観返す。さらに、ぱらぱらめくって楽しむ。1冊で三度でも四度でも美味しい。
 デジタル世代の描く背景美術やレイアウトの美しさ、モチーフとした現実の風景のデフォルメと潤色という点では、映画とイラストというメディアの違いはあるものの、新海誠の映像美ともちょっと共通点はあるかもしれない。

■北村 薫『月の砂漠をさばさばと(新潮文庫)』 新潮社
 読了(2016-10-05) ☆☆☆☆

 単行本は出てすぐに読んでいたけど、文庫であらためて再読。
 おかあさんとさきちゃんのほんわかとした日常をつづる連作短編集。表題からもわかる通り、だじゃれや言葉遊びがキーになる話が多い。
 内容的にはもちろんミステリではないのだが、一方で、あちこちに仕込まれたちょっとした描写が、描かれていない物語の背景をおぼろにうかびあがらせるあたりのちょっとビターな味わいは流石の北村薫品質。

■西尾 維新『掟上今日子の退職願』 講談社
 読了(2016-10-9) ☆☆☆

 どんどん出ている忘却探偵シリーズ。こちらは、いかにもミステリに典型的に出てくる典型的な4種類の「死体」をめぐる事件を4人の女性警部の視点から描いた趣向の点で、以前の『挑戦状』とペアになる連作短編集。その一冊としての構成、趣向に対して、ミステリとしてのアイデア面ではやや物足りない箇所もあるものの、まあ、それなりに楽しめた。

■西尾 維新『掟上今日子の婚姻届』 講談社
 読了(2016-10-10) ☆☆☆☆

 忘却探偵シリーズのキーキャラクター厄介くん視点の長篇。今回は、つきあう男性がことごとく不幸になると言う「厄女」からの相談事をめぐる物語。「謎」と「謎解き」が日常に根ざしている点ではやや北村薫的だが、基本巻き込まれ型キャラクターの厄介くんが、解かれた謎がもたらす結果に対して「立ち向かう」構図となるのがシリーズ中では異色でもあり、キャラクターの成長もちょっと感じさせる。
 ミステリとしての謎解き部分の完成度と、解けた謎の物語的な「重さ」が両立しており、これまでのところ、シリーズ最高傑作ではないか。また、おそらく本シリーズ中ではもっとも「西尾維新」らしい作品なのだろうと思う。

■水玉 螢之丞『すごいぞ!おかあさん きいろいばらの巻』 河出書房新社
 読了(2016-10-15) ☆☆☆☆
■水玉 螢之丞『すごいぞ!おかあさん テレビのカレーの巻』 河出書房新社
 読了(2016-10-17) ☆☆☆☆

 こんな水玉作品もあったんだ! 子育て雑誌への連載マンガで、毎回決まったフォーマット(見開きでほぼ同じコマ割り、主人公の二卵性双子とおかあさんの日常から、同じお題に対してキャラクターの異なるママ友3人の家庭内の事情を窺い知る趣向)の中でほのぼのしつつ、たまに挟まる濃いネタがいかにも水玉さんらしい。

■黒木 登志夫『研究不正 - 科学者の捏造、改竄、盗用 (中公新書)』 中央公論新社
 読了(2016-10-16) ☆☆☆☆★

 第一線級の生化学研究者でもある著者が、古今東西の研究不正をパターン分類し、実例をもとに研究不正の実態、背景などなどをわかりやすく解説した大力作。さる筋からの猛プッシュで読んだが、不謹慎ながら読み物として面白すぎた。(もちろんいろいろ肝に銘じねば)
 しかし79歳でこのクオリティの著書をコンスタントに書かれている著者には頭が下がりますね。これはすごい。

■植田正治『砂丘 La Mode』 朝日新聞出版
 読了(2016-10-21) ☆☆☆☆

 ササユリカフェに『マイマイ新子と千年の魔法』&『この世界の片隅に』の原画&絵コンテ展示を観に行った帰り、西荻窪らしさ?のにじみ出る書店でみつけて購入。今年、こんな本出てたのね。
 植田正治作品の中でも、いわゆる砂丘モードの時期のしゃれたシリーズで統一されたポップな一冊。

■こうの 史代『この世界の片隅に(前編) (アクションコミックス)』 双葉社
 読了(2015-06-04) ☆☆☆☆★
■こうの 史代『この世界の片隅に(後編) (アクションコミックス)』 双葉社
 読了(2015-06-04) ☆☆☆☆☆

 11/12のアニメ版が公開される前に改めて再読。広島から呉に嫁いだすずさんの日常がいとおしくなる秀作であると同時に、各話ごとにさまざまな演出、技法、実験がもりこまれており、実験の先鋭性では唐沢なをきとタメを張れるレベル(なにしろ、1話丸ごとカルタだったり、鳥の羽ペンを自作して絵を描いたり、ほとんどを口紅で描いた回もあったりするのだ)。
 その全原画と、作中に登場する昔の道具などがまとめて展示されていた呉市美術館での展覧会が11/3まで、ということで、一念発起して鑑賞してきた。片渕監督主催の探検隊レベルではないものの、地図観ながら呉と広島の街もちょこっと歩いてきたので、作中のもろもろの位置関係もなんとなく頭に入りつつある感じ。映画の公開が楽しみ。

2016年9月に読んだ本2016年10月01日 02時50分57秒

 9月は冊数多し。とはいえ、100ページくらいの本が多いのはご愛嬌。本棚の北野勇作作品の棚卸し的な月。あと、西尾維新読むのは実は初めてだったりする。
(使ってなかったソーシャルライブラリーの日記書き出し機能を使ってみたらけっこうこの日記の作業が楽になった(笑)。ついでに転記してなかった評価点も今月から入れることにしてみた。☆五つで満点)

■北野 勇作『きつねのつき (河出文庫)』 河出書房新社
 読了(2016-09-03) ☆☆☆★

 出版時期的には大震災後でタイムリー感があった、とのことだが、なんだかわからないけど世界がいったん滅んでしまった後の市井?の生活感を描くというモチーフは北野勇作的には普遍的なテーマといえるだろう。
 本作は起こった「災害」の内容はなんとなくナウシカとかエヴァとか連想させるが、赤ん坊が子供になっていく過程を見守る父親、というあたりにはご本人の体験、心象もモチーフになっているのかもしれない。

■アルフレッド・エドガー・コッパード『天来の美酒/消えちゃった (光文社古典新訳文庫)』 光文社
 読了(2016-09-04) ☆☆☆★

 文庫で読めるコッパード。定型の枠には収まらないアイデア、展開でまさに「奇妙な味」としか呼びようがない。

■西尾 維新『掟上今日子の備忘録』 講談社
 読了(2016-09-10) ☆☆☆

 寝るごとに記憶がリセットされる忘却探偵のシリーズ第一作。短編それぞれに工夫がありつつ、ラストの謎解きにはちょっとうるっとくる仕掛けもあり、なかなか楽しめた。
(しかし、初めて読む西尾維新がこのシリーズでよいのか?)

■北野 勇作『北野勇作どうぶつ図鑑〈その1〉かめ (ハヤカワ文庫JA)』 早川書房
 読了(2016-09-11) ☆☆☆★
■北野 勇作『北野勇作どうぶつ図鑑〈その2〉とんぼ (ハヤカワ文庫JA)』 早川書房
 読了(2016-09-14) ☆☆☆★
■北野 勇作『北野勇作どうぶつ図鑑〈その3〉かえる (ハヤカワ文庫JA)』 早川書房
 読了(2016-09-17) ☆☆☆★
■北野 勇作『北野勇作どうぶつ図鑑〈その4〉ねこ (ハヤカワ文庫JA)』 早川書房
 読了(2016-09-18) ☆☆☆☆
■北野 勇作『北野勇作どうぶつ図鑑〈その5〉ざりがに (ハヤカワ文庫JA)』 早川書房
 読了(2016-09-18) ☆☆☆★
■北野 勇作『北野勇作どうぶつ図鑑〈その6〉いもり (ハヤカワ文庫JA)』 早川書房
 読了(2016-09-19) ☆☆☆★

 本棚を整理していて発掘したので一気読み。北野勇作の短編を巻ごとにテーマ(どうぶつ)を決めて全6巻で出版する。各巻の作品セレクト、装丁、付録折紙、カバー裏のジオラマまで、何という贅沢な企画だったことか。いや、楽しい楽しい。
 トピック的には、定番の「かめ」の巻は記念すべき『カメリ』デビューの巻でもある。「かえる」の巻はホラー風味(+演劇モチーフ)の短編を集めた1冊。これは著者がやっているという朗読で聴くとけっこう怖くてよいのではないかと思った。「ねこ」の巻は、昭和の映画、流行、マンガをモチーフにした切ない喪失感を描く短編3編。

■吾妻 ひでお『吾妻ひでお ベストワークス 悶々亭奇譚』 復刊ドットコム
 読了(2016-09-14) ☆☆☆★

 表題作の他、『パラレル狂室』や『みだれモコ』などを収録。読んでみると、画風的にも作風的にも統一感があって、このセレクトの手があったか、と思わせる好アンソロジー。わかりやすい例でいうと『やけくそ天使』の初期くらいの感じで、多少雑に描き飛ばしているくらいの画風が、リアルタイムで読んでいた頃には多少物足りなく感じたこともあったのだが、今読むとちょうど作風にもマッチしていたんだな、と思える。アナーキーなキャラとアナーキーなギャグの連発が今読むとかえって新鮮。

■西尾 維新『掟上今日子の推薦文』 講談社
 読了(2016-09-17) ☆☆★

 忘却探偵という設定上、その行動を記録する語り手が必要な訳だが、1冊目とは別の人物だったのが本作最大のびっくりだったかも。若手画家のパトロンの老人への殺人未遂をめぐる謎解きはミステリ的にはちょっと物足りない感じ。

■西尾 維新『掟上今日子の挑戦状』 講談社
 読了(2016-09-21) ☆☆☆★

 今回は「アリバイ」「密室」「ダイイングメッセージ」という本格ネタをちょっとメタ視点で眺めつつ、ちゃんとそれぞれのアイデアでの謎解きを入れこみ、忘却探偵の特性も生かした小味の効いた短編集。たまたま今日子さんとタッグを組んでしまった警察サイドからの視点、という点も一貫しており、テーマ、構成とも統一感のある短編集。ここまでのシリーズ中いちばん楽しめたかも。

■岸本佐知子編訳『コドモノセカイ』 河出書房新社
 読了(2016-09-25) ☆☆☆☆

 子供の世界を「無垢で無知ゆえに、残酷で理不尽で支離滅裂なもの」ととらえたコンセプトのアンソロジー、奇妙な味わいで微妙に居心地の悪い短編で一貫するの中、ラストの「七人の司書の館」でほのかな未来と希望をほのめかして〆るセレクト&構成がお見事技あり。

■西尾 維新『掟上今日子の遺言書』 講談社
 読了(2016-09-26) ☆☆☆

 1冊目の語り手厄介くん再登場。女子中学生の自殺未遂をめぐる謎解きは、本当の正解はわからない感じの描かれ方なので、ミステリ的にはちょっともやもや感が残るかなあ。このあたりは今の若者の皮膚感覚にはむしろマッチしていたりするのだろうか。
 まあ、今巻の最大のポイントは表紙イラストにもなった今日子さんのセーラー服かと(笑)。

■星 一『三十年後 (ホシヅル文庫)』 新潮社
 読了(2016-09-28) ☆☆☆

 かの有名な星一の未来予測小説。オリジナルのままだとおそらく冗長に感じられるであろうところは星新一ががんがんダイジェストしまくっているのでさくさく読める。
 まずは、ガーンズバックばりの楽天的未来予測SFとして、その発想力の豊かさが予想以上に楽しめる。楽天的すぎて、今の視点ではディストピア的に感じる要素もあるが(レム『泰平ヨンの未来学会議』あたりも連想した)、そのあたりは、むしろ今の視点で読んだ方が重層的に楽しめるかも。それにしても人を食ったラストだ(笑)。

2016年8月に読んだ本2016年09月08日 21時31分37秒

 8月は出張とか帰省とか重なって北は北海道、仙台から西は名古屋まで、個体移動距離がえらいことに。そんな中、読んだ本の冊数はちょっと少なめ。
 ともあれ、第3回となる名古屋SFシンポジウムは今回も面白かったですね。

■円城塔『バナナ剥きには最適の日』 ハヤカワ文庫JA
 宇宙探査船に搭載された人工知能の孤独をちょっとユーモラスに、ちょっと哀感をこめて描く表題作他、着想、描写ともいかにも円城塔だが、円城塔らしいなりにバラエティに富んだ短編集。円城塔入門にはこのくらいがいいのかも。

■北野勇作『カメリ』 河出文庫
 懐かしの『どうぶつ図鑑』でシリーズ開始して細々と書き継がれてきた『カメリ』シリーズが一冊に。『どろんころんど』ともつながる不安定な世界観とキャラクターがが「おもしろうてやがてかなしき」絶妙の空気感を醸し出している。

■深緑野分『オーブランの少女』 創元推理文庫
 『戦場のコックたち』がよかったので初短編集にも手を出してみた。少女を共通テーマにしつつも、ギムナジウムもの?からファンタジーまで作風の幅広さを感じさせる一冊。

■山本幸久『幸福ロケット』 ポプラ文庫
 前に読んだ、ロアルド・ダールと半村良がキーポイントの初々しい読書会?小説『幸福トラベラー』の前日譚、姉妹編としては姉の方にあたる長篇。
 こちらもまた、ダールと半村良と星新一と平井和正などなどがおおいにキーとなる『〜トラベラー』以上に初々しくて(なにしろ、こちらの主役は小学生である)ちょっとほろっとする読書会?小説だった。
 ということで『幸福トラベラー』のラストと番外編で思わせぶりに出てきたキャラクターの背景がよくわかった。なんとなく全登場人物がひととおり収まるところに収まっちゃった感じなので、このシリーズは二部作で完結、という感じなのかな。

■宋美玄、姜昌勲、NATROM、森戸やすみ、堀成美、Dr.Koala、猪熊弘子、成田崇信、畝山智香子、松本俊彦、内田良、原田実、菊池誠『各分野の専門家が伝える 子どもを守るために知っておきたいこと』 メタモル出版
 子育ての周辺に跳梁跋扈する怪しげな情報に対して、わかりやすく語りかけるように説明する。記事ごとの長さもさらっと読むのにちょうどよく、例え話も納得感がある。信者の説得にはならないだろうが、予備軍を踏みとどまらせるにはよい内容になっていると思う。広く読まれて欲しい。

2016年7月に読んだ本2016年08月02日 22時12分30秒

 今月は仕事はばたばたしている割に、月末の『カエアンの聖衣』読書会にむけてベイリー棚卸し読書。大森センセの訳文の軽妙さもあいまって、いやあ、進む進む。

■岸本佐知子『ねにもつタイプ』 ちくま文庫
 ちくま文庫から2冊出ている岸本佐知子エッセイ集と言うか奇想小噺集? 刊行順と読む順番が逆になったが、これもまた危険物(笑)だった。寝る前に寝床で読んだ1編がツボにハマって腹筋崩壊。電車の中でも寝床でも読んだら危険では、どこで読めばいいのだ(笑)。

■エラ・フランシス・サンダース『翻訳できない世界のことば』 創元社
 母国語の国民には一言で通じるけど、他の国の言葉で表現しようとすると文化背景等も含めてとても一言では伝わらないような単語を世界中から収集して紹介する異色?の絵本。日本語から選ばれているのが「ボケッと」「木漏れ日」「わびさび」となぜか「積ん読」(笑)であるあたりがちょっと身につまされる(笑)。

■バリントン・J・ベイリー『カエアンの聖衣』 ハヤカワ文庫SF
 大学1年(1983年)の初刊行時に読んで以来、33年ぶりの再読。けっこう内容忘れている感じだったが、まあとにかく面白い!
 因みに、この作品の再刊のきっかけになったという『キルラキル』は実はネットで1話分だけ観た程度です。すみません。

■バリントン・J・ベイリー『永劫回帰』 創元SF文庫
 宇宙の誕生から終わりまで、同じ出来事が無限に繰り返されているという永劫回帰の理を変えることに挑戦する主人公は、生体コンピュータとして機能する硅素骨を移植されており、それを人工チャクラとして使うことで認識を拡大されており、もともと常人以上の能力を持つ。一方別の事情から、生命維持のために宇宙船のシステムに依存してもいるのだが、そのシステムと一体化していることで、宇宙船の機能を自らの能力としても使えるという、二重三重の意味での人工的超人。
 といういかにもベイリーらしい(ワイド・スクリーン・バロックらしい)希有壮大な設定の割には、実は伏線がきっちり張られてラストにちゃんと収束していくのが、ワイド・スクリーン・バロック的にはこじんまりして感じるかもしれないけど、ベイリー作品の中ではSFとしての完成度は高いとも言えるかも。
 あと、本作はワイド・スクリーン・バロックとして見た場合、ベスターよりヴァン・ヴォクートっぽいようにも感じた。

■バリントン・J・ベイリー『スター・ウィルス』 創元SF文庫
 ベイリーの処女長篇。のっけから黒マントの宇宙海賊が暴れまくる、という設定、展開から、ちょっと松本零士のヴィジュアルで脳内再生された(笑)。
 あらくれ宇宙海賊が略奪した古代異星文明の遺産(なのかなんだかよくわからない)レンズはどうやら宇宙を内包しているらしい、というあたりはちょっとフェッセンデンの宇宙っぽかったりもするのだが、そのレンズの謎をめぐるストーリーが二転三転して最後は銀河を突破するような希有壮大な展開(なんとなく堀晃「アンドロメダ占星術」っぽい)にいたる怪作。ベイリーはやっぱり最初からベイリーだった(笑)。

■上條淳士『To-y 30th Anniversary Edition』1〜5巻 小学館
 上條淳士の原画展「LAST LIVE展」で、「LAST LIVE展」限定の前巻収納BOX目当てに大人買い(笑)。全巻とBOXにサインいただいてきました。これの前に、靖国神社脇の小さな画廊でやっていた武道館LIVEのミニ展覧会にも行ってきたんだけど、「LAST LIVE展」は画廊の壁全体を使ってあのシーンとかこのシーンとか、かゆいとことに手が届くセレクトで堪能。
 連載当初は意外と吉田まゆみっぽい雰囲気もあったり(まあ、アイドルものなので意識的だったんだろうなあ)、大友克洋の初期短編的な雰囲気もあったりして、ニューウェーブと少女マンガのいいとこどり、みたいな感じもあり。それが、To-yが音楽シーンをかけあがっていくにつれて、キャラクターも画面構成もどんどんとぎすまされていく。
 そうしてたどりついたラスト近くの展開は、今読んでも鳥肌もの。To-yを体験する作中の人々と、『To-y』という作品、上條淳士というマンガ家を体験する自分たちがシンクロしていたのを今更ながらに実感した。

■那州雪絵『超嗅覚探偵NEZ』3巻 白泉社花とゆめCOMICSスペシャル
 1巻から4年かかって出た2巻の後、また4年くらい間が空くのかと思ったら、思ったより早くコミックス出て完結。
 最終巻はなかなか驚愕の展開。こういうシビアでポリティカルな話を書けるのは那州雪絵と有川浩くらいではないか。(有川浩は那州雪絵の文庫に解説を書くほどのファンなので、あながちハズレでもないと思っている)

■バリントン・J・ベイリー『ロボットの魂』 創元SF文庫
 基本的なストーリーはSFロボットもの版「ピノキオ」。老職人に作られたロボットが自分探しの(というか、ロボットの自分に「意識」はあるのか、という哲学的疑問の答えを求める)旅に出て、遍歴の末に、生まれた家に戻って答えを得るまでの物語。
 なんだけど、主人公のロボット、ジャスペロダスのやることなすこと、アナーキーで破天荒。なりゆきのまま盗賊団の列車強盗の手助けをしたかと思えば、小王国をクーデターで乗っ取ったり、心を入れ替えて大帝国の中枢で働いて頭角を現したかと思えば、裏切りにあって、その腹いせのまたクーデター起こしたり。
 「人間の意識とは何か?」という命題をめぐる議論がこれでもかとぶちこまれながら、アナーキーなピカレスクロマンなので二転三転ぐいぐい読める。傑作。

■バリントン・J・ベイリー『光のロボット』 創元SF文庫
 『ロボットの魂』の後日談。世界で唯一人間と同じ「意識」をもつジャスペロダスに対して、超高度な知能を持った結果として、人間の「意識」の存在に独力で気がつき、なんとかそれを手に入れようとするロボット集団。人間とロボットの相克に、ロボットでもあり人間でもあるジャスペロダスが最後にくだす決断とは…
 2作に共通して、「ロボットは人間の命令にさからえない」という基本設定はありつつも、ロボット工学三原則は一顧だにしないアナーキーぶりが楽しい。

2016年6月に読んだ本2016年07月09日 07時22分17秒

 なんだかんだで仕事が立て込んでいて、今月も少なめ。
 トピックとしては、『たんぽぽ王朝記』はフライング入手できたのでほぼ発売日に読了(笑)。

■深緑野分『戦場のコックたち』 東京創元社
 ノルマンディー作戦から従軍したアメリカ軍のコックが経験した身の回りのちょっとした謎をめぐるミステリ、謎にかかわる事件では人は死なないものの、戦場では昨日までそばにいた同僚がばたばた死んでいく。エピソードごとの「謎」も、北村薫的な「ちょっとした日常の謎」から、読後感の重い長篇通してのテーマに徐々に深まっていく(そして、その伏線はちゃんと序盤からしかれている)のが見事。ミステリとしても、一兵士視点での戦場をめぐるドラマとしても秀作。

■ケン・リュウ『蒲公英(ダンデライオン)王朝記 巻ノ二:囚われの王狼』 新☆ハヤカワSFシリーズ
 店頭に並ぶ前にフライング入手してすぐに読み始め(古沢センセありがとうございました)、前巻同様のワクワク感で(日々の読書時間は少ない中では)ほぼ一気読み。
 中国風の要素の多い架空世界で、群島に多くの国々がある、という設定も含め、日本の読者は三国志だけでなく十二国記もちょっと連想するのではないか。十二国記はあらゆる意味で「人工的」で(どこかにいるらしい)ゲームマスターに国家間の戦争は固く禁じられている(その人工ルールの極みで、失政すると王は死ぬ)が、こちらは英雄群像と国家間の抗争が主眼、という違いはあるものの、物語を通して「国を統治する」ことの難しさを感じさせる、という点では共通項もあるように思った。
 一気読みでいろいろ取りこぼしてるところもあると思うので、続刊が出る前くらいにゆっくり読み直したい。

■R・A・ラファティ『地球礁』 河出文庫
 地球人ではないらしいプーカ人の一族(特にその子供たち)があばれまくるラファティらしい一作。地球人じゃない種族が出てくるとはいえSFとは思えず、普通の意味での小説、物語の枠にもおさまらない不思議な読後感は、解説にある「ラファティの目で見えていた世界」という指摘が一番しっくりくるかもしれない。

2016年5月に読んだ本2016年06月14日 21時23分24秒

 5月はSFセミナーが(その後のオフ会含め)今年も楽しかったですね。ともあれ、仕事がばたばたしてきて、ちょっと冊数は少なめ。

■中村澄子・大里秀介『TOEICテストで目標点数を出したあとで、ビジネスで活躍するための英語勉強法』 講談社
 TOEICブロガーとして大活躍中の大里氏(会社の後輩にあたる)の新刊、ということで読んでみた。海外留学でも海外出張でも、「TOEICで学んだことを役に立てるのだ!」という強固な意志と行動力には頭が下がる…のだが、海外赴任時代の話がけっこう生々しい。そんないろいろな目にあっていたのか。
 共著者の中村氏の方はもともとTOEIC参考書の世界では著名とのことで、TOEICはある程度のスコアを出したら、実践的な英会話やビジネスメール等の学習に移行するべき、とのスタンス。そこをあえてTOEICで乗り切った経験者の体験談を配することで、英語学習の心構えを語るための本、という感じ。英語勉強法そのものを期待される向きにはやや焦点が違って見えるかも。

■萩尾望都『萩尾望都 SFアートワークス』 河出書房新社
 前に銀座の画廊でやったごく小規模な原画展からスケールアップした原画展を吉祥寺で鑑賞。この画集に収録された作品のかなりの部分は直に原画で観ることができた。当たり前の話だが、原画の繊細さはやはり生で観るにしくはない。
 因みに、原画を観て一番驚いたのは、魔王子シリーズの表紙はカラーで彩色した原画の上に色セロハンを貼ってあったという点か。あの不思議な効果はこんなシンプルな技法だったのか。あと、スターレッドと阿修羅王の原画をみると感動で目が潤む。

■吉本隆明(&ハルノ宵子)『開店休業』 プレジデント社
 吉本隆明生前最後のdancyu連載ミニコラム…というだけなら、内容的に単なるお年寄りの想い出話(しかも間違い、勘違い多し)で、おそらくなんてことないエッセイ集になっていたであろうところ、長女にしてマンガ家のハルノ宵子が全エッセイ(1回4ページ)に見開き2ページの注釈コラムを入れることで、本編エッセイの著者本人は意識していない「老い」や「勘違い」「間違い」が正され、また、親の「老い」を見守る視線が付加され、予想外に興味深い内容に化けている。ここでまた、ハルノ宵子のエッセイそのものも父親とは異なる個性や生活観の味わいがあるのがさらにいい。結果的父娘合作エッセイの妙。

■テリー・ビッスン『世界の果てまで何マイル』 ハヤカワ文庫SF
 古本屋でやっとみつけた。ビッスンの長篇。なるほどこれは『ふたりジャネット』『平ら山を越えて』収録のアメリカンほら話の系譜。
 個人的には、アメ車とラジオの組み合わせがキーとなるロードムービーということで、『ストレンジャー・ザン・パラダイス』から『ナイト・オン・アース(ナイト・オン・ザ・プラネット)』あたりのジム・ジャームッシュを思わせて、いい感じ。
 とはいえ、なりゆきのまま美少女と古いアメ車に乗り込んでの不思議なハイウェイ道中は、今ならクルマと女の子がキャッチーに描ける絵師の表紙と口絵でもつけてライトノベル文体で改訳して再刊するといいかも。
 ついでにいうと、すごく狭い世界観の中での創造主の孤独をめぐる青春物語、という点では、実は新井素子『いつか猫になる日まで』との共通点もあるように思った。

■ケン・リュウ『蒲公英(ダンデライオン)王朝記 巻ノ一:諸王の誉れ』 新☆ハヤカワSFシリーズ
 短編集『紙の動物園』ではテーマからアイデア、構成まで驚くほど幅広い短編のバリエーションを披露したケン・リュウの初長篇はなんと中国風の架空世界を舞台にしたシルクパンク武侠群像劇。二転三転する物語の面白さに一気読み。
 三国志っぽい骨格に独自の科学技術による兵器開発の味付けあり(このあたりがシルクパンクの所以)、メインの二人には自分探し青年の成長物語と貴種流離譚の要素もあり、一方、兵站をしっかり考証した丁々発止の軍略あり、様々な要素が万華鏡的に楽しめる。

■岸本佐知子『なんらかの事情』 ちくま文庫
 エッセイと思わせて斜め上の連想、奇想がどこに着地するか読めない不思議な小噺集。地下鉄車内で読み始めたらいきなり腹筋崩壊して不審者になりかけたので、我が家では危険物指定することとした。

ロバート・シェクリイ「五分間の機会」(受講後改訳版)2016年06月12日 10時22分55秒

 そして目覚めると、ジョン・グリーアは天国の入口にいた。
 彼の前には、はるかな蒼穹と真っ白な来世の雲海が広がっており、さらに彼方には天上の永遠の太陽の下で金色に輝く夢のような都市が見えた。彼の目前におわしたのは、見上げるほどの慈愛に満ちた風貌の記録天使であった。グリーアは、自分が存外驚いていないものだな、と思ったが、それは、彼が日頃から、天国というものは特定の宗教や宗派の信徒のためだけのものではなく、あらゆる人のためのものだと信じてきたからだろうか。それでも、これまでの人生を通じ、そのことを信じきれずに思い惑うこともままあった。そして今この時にも、彼は天の采配を信じ切れておらず、ただ微笑みを浮かべるより他なかった。
「天国へようこそ」記録天使はそう言うと、重々しく真鍮の金具で綴じられた台帳を開いた。ぶ厚い眼鏡の奥で目を細めつつ、天使はびっしり書かれた名前の列をたどって指を下に走らせていたが、グリーアの記録をみつけると表情を曇らせた。天使の双翼の先が一瞬ぴくりとしたのは動揺のためか。
「なにかまずいことでもありましたか?」グリーアはたずねた。
「わたしもそう感じている」記録天使は言った。「どうやら、死の天使は定められた時刻より前に、きみをたずねてしまったようだ。彼はこのところ遅くまで働きづめだったのだが、だからといって許されるものでもないだろう。さいわいにして、これはとるに足らない誤りだと思うが」
「ぼくの死すべき時より前に連れてきてしまった、ということですか?」グリーアは言った。「とるに足らない、とは思いませんが…」
「しかしね、きみ、これはたった5分のことなのだよ。きみが気に病むほどのことでもないのではないかな。どうだろう、このくらいの違いにはお互い目をつむることにして、きみを永遠の都に送らせてもらえないかね?」
 記録天使は疑いようもなく正しかった。現世でのあと5分が、彼にどんな違いをもたらし得るというのだろう? それでもグリーアは、理由は言えないまでも、その5分が大事なのではないかと感じていた。
「ぼくにその5分をいただけないものでしょうか」グリーアは言った。
 記録天使は思いやるように彼を見やった。「もちろん、きみの方が正しい。だが、わたしも忠告しておきたい。きみは自分がどのように死んだのか覚えているかね?」
 グリーアは思い出そうとして、それから頭を振った。「どうやって?」彼は自問した。
「わたしはそれを言ってみなさいと強いるつもりはない。とはいえ、死とは決して好ましいものではない。きみは今、ここにいる。われらとともにあろうとは思わないかね?」
 それは確かに理にかなってはいた。しかしグリーアは何かが終わってはいない、という思いを振り払えずにいた。「もし、無理に思い出すことになるとしても」グリーアは言った。「ぼくはどうしてもその5分を過ごしてみたいのです」
「それでは、行くがいい」天使は言った。「わたしはここできみを待っているよ」
 そしてまた目覚めると、グリーアは現世に戻っていた。彼は薄暗くライトの明滅する金属製の丸い空間にいた。空気は澱んでおり、蒸気と機械油の臭いがした。鋼鉄の壁が波打ち、ぎしぎしと音を立てており、継ぎ目からは水が流れ込んできていた。
 グリーアは自分がどこにいるか思い出した。彼はアメリカの潜水艦インヴィクタスに乗り込む砲術将校だった。ソナー探知のミスがあり、彼らは1マイルは離れているはずの海崖にぶつかり、今まさに漆黒の海水の中をなすすべもなく沈みつつあるのだった。インヴィクタスはとっくに自らの最大潜行深度を大きく超えていた。ぐんぐん高まる水圧が艦の外殻を押しつぶすまでは、もはやほんの数分で足りると思われた。グリーアは、それがまさに5分間で起こるであろうと知っていた。
 艦内には特に騒ぎはなかった。海の男たちは、迫りくる艦壁を自分たちの身体で押し返そうとしつつ、その時を待ち、恐怖に震えてもいたが、自分たちの感情はしっかり抑え込んでいた。技術士官たちは席にとどまり、自分たちが助かりようがないことを知らせる計器の数値を淡々と読み上げていた。グリーアは、記録天使がこのこと~人生の苦い結末、凍てつく暗黒の中でのあっけなく突然の死の苦しみ~を思い出させないようにしてくれていたのだと悟った。
 それでもなお、グリーアは、記録天使にはわかってもらえないだろうとは思いつつも、自分がここにいることに感謝の念を抱いた。天上におわす人ならぬものに、地上の人たるものが感じることがどうしてわかるだろう? グリーアには、自分がふるさとにさよならを言う稀な機会を、それも、行く手に何の怖れもなしにそうできる機会を与えられていたのだ、ということがわかった。艦壁が圧壊せんとする中、彼は地球の美しさを想い、できるだけたくさん覚えていようと考えていた。まるで、異国への長旅に出るために、荷物を詰め込んでいる人のように。

翻訳教室覚書2016年06月09日 04時25分38秒

 ということで、SFセミナーの翻訳教室で印象に残った箇所の覚書。当日は〆切前に課題を提出した人の訳文を元テキストといくつか対照させた配布資料もあり、複数の人の解釈を確認しつつ、西崎さんの解釈が解説される、という流れ。時間の関係ではしょられちゃった箇所もあちこちあったのはちょっと残念。
 なお、翻訳の難易度を10段階でつけるなら、このテキストは4くらいではないか、とのこと。(教材向き、という感じ?)

■「突然」は訳さなくていい!?
Suddenly, John Greer found that he was at the entrance to Heaven.

 ほとんどの人が「突然」と訳していた冒頭の文章のさらに冒頭の「Suddenly」、文章全体を日本語にする場合には、「ふと気がつくと」のように、動詞の翻訳に「Suddenly」で表されるニュアンスが表現されることが多いので、「Suddenly」をそのまま「突然」と訳さなくてもよい、とのこと。これは目からウロコで、ちょっと会場がどよめいてました。

■冠詞が表すものは?
Before him stretched the white and azure cloud-lands of the hereafter, and in the far distance he could see a fabulous city gleaming gold under an eternal sun.

 次の文章。来世の光景が描写されているけど、直訳的に訳すと自然な日本語になかなかならない。具体例は省くけど、この箇所の講義のポイントとしては、「日本語の文章として不自然にならない」ことは意識すべき、とのこと。
 そして文末の「an eternal sun」。この「an」は、ここで見えている「sun」が、主人公がいつも地上で目にしていた太陽とは違う、初めて目にする「sun」である、というニュアンスが読み取れる、とのこと。
 英作文をしていても、日本人の弱点と言われる冠詞だが、その難しさをさらに実感しました。


■単数・複数の解釈&驚いた時はどうなる?
  "Welcome to Heaven," the Recording Angel said, and opened a great brass-bound ledger. Squinting through thick bifocals, the angel ran his finger down the dense rows of names. He found Greer's entry and hesitated, his wing tips fluttering momentarily in agitation.

 ここでは、末尾の「his wing tips fluttering momentarily in agitation.」にスポットを。まず、「wing tips」が複数なので、これは天使の「両翼」の先端、ということになるが、試訳で「両翼」のニュアンスを入れていたのはお一方のみでした。確かに、あまり意識せずにさらっと日本語にすると抜けてしまいそう。
 また、文節全体として天使の自発的な意志とは関係ない動きであることがわかるので、訳す時に「天使が翼の先をふるわせた」というようにしてしまうと、意図的に動かしているような日本語になる(実際、試訳の中にも何例かあり)ので要注意、とのこと。

■会話の言葉遣い
 The Recording Angel looked at him with compassion. "You have the right, of course. But I would advise against it. Do you remember how you died?"
  Greer thought, then shook his head. "How?" he asked.
  "I am not allowed to say. But death is never pleasant. You're here now. Why not stay with us?"
  That was only reasonable. But Greer was nagged by a sense of something unfinished. "If it's allowed," he said, "I really would like to have those last minutes."
  "Go, then," said the Angel, "and I will wait for you here."

 この箇所にかぎらず、会話の文をみると、天使側がシンプルに言い切っているのと比べ、主人公がややまわりくどい言い回しをしている。この違いからは、天使の方はちょっとぞんざいに、主人公の方は丁寧な言葉で話している、立場の違いのニュアンスがわかる、とのこと。
(前エントリの自分の試訳で、模範例に近かったのはこの箇所くらい。しかも、上記のように英文からニュアンスを読み取ったというより、シチュエーションからその方が自然か、と思って訳したので、たんなる偶然ともいえる)

■潜水艦の名は?
  Then Greer remembered where he was. He was a gunnery officer aboard the U. S. submarine Invictus. There had been a sonar failure; they had just rammed an underwater cliff that should have been a mile away, and now were dropping helplessly through the black water.

 これはなかなか含蓄のある箇所で潜水艦の名前「Invictus」は辞書などによると「不沈」の意味があるので、英語で読むならその名前に込められた皮肉なニュアンスが見ただけで伝わるけど、どう訳すか悩ましい。
 ありがちな例としては、こういう潜水艦名を<>などでくくる(「潜水艦<インヴィクタス>のように)こともあるが、ここはあまり名前を強調しないほうが自然な訳文になる、とのこと。(会場の大森センセからも「こういう時に<>はつけない」とのコメントありました)

■天使のおしごと?
 翻訳の善し悪しとは別に、記録天使が分厚い遠近両用眼鏡(これもそのまま訳すと自然な日本語にしにくい?)を使っていたり、死神がオーバーワークでうっかりミスをしたりしているあたりは、天上界なのに妙に人間臭くて、ちょっとしたユーモアかもしれない。

■所感
 翻訳のあり方については必ずしも正解はなく、逐語訳にこだわって、かつ日本語としても自然な訳文を駆使される翻訳家の方もおられるが、今回の講師の西崎さんは「日本語の小説として自然に読める」ことに重きを置いたスタンスといえると思うが、一方で、冠詞や単数複数にまで気を配る、という点では、原文に込められたニュアンスはすみずみまで読み取った上で、原文で表現されていたことはちゃんと訳文に反映させよう、ということになるかと思う。
 日本の英語学習は基本、逐語訳なので、身に付いたそのあたりの殻は、普段あまり意識しないが、授業的な「英文和訳」と「翻訳」の間のハードルの違いはちょっと実感できたように思う。
 そういえば、こちらは一種の極論かも? とも思うが、昨年(2015年)の名古屋SFシンポジウムでは、中村融さんがご自身の翻訳流儀として、原文で語られている内容がちゃんと含まれるなら、英文と日本語の文章が必ずしも対応していなくてもよい、原文の複数の文章を解体して日本語の訳文として再構成することもある、という趣旨のことをいっておられたが、これも上記の西崎さんのスタンスと概ね近いように思う。
 なんにしろ、短時間ながら、翻訳の奥深さを体感できる体験ではあったが、大学SF研現役時代の自分の英語力では、やっぱり翻訳やらなかったのは正解だったかも(笑)、とも思った。

ロバート・シェクリイ「五分間の機会」(受講前試訳)2016年06月01日 07時30分46秒

<元テキストについて>
 SFセミナー2016本会企画の「SFファンタジー翻訳教室」(講師:西崎憲先生)はリンク先のショートショートを題材に、英文の小説を日本語の小説にする際に、原文のどういうところに気を配り、そのニュアンスを日本語にしていくか、について、たいへん実践的な講義となっており、興味深く受講させていただいた。

http://www.sfseminar.org/wiki.cgi?page=SF%A5%BB%A5%DF%A5%CA%A1%BC2016%A1%A1%CB%DD%CC%F5%B6%B5%BC%BC%A5%C6%A5%AD%A5%B9%A5%C8

 以下は、リンク先のショートショートを受講前に自分なりに訳してみたもの。(事前課題の〆切には間に合わず(笑))
 原文は平易な英語で読みやすいわりに、なかなかに含蓄のあるいい感じのショートショートなのだが、日本語にしよう、という視点でみると、けっこういろいろ迷ってしまう箇所があちこちにあり、講義テキストとしてはナイスなセレクトだなあ、と感じた。
 実際に受講してみての感想としては、自分で頭ひねった分、講義の内容がより実感できて面白かったので、〆切には間に合わなかったけど、やってみてよかったな、と思った次第。
 以下は受講前の試訳を備忘録的に。これと、〆切までに提出した方々の訳文を参照しながら受講してみて、過去に大学SF研のファンジンの翻訳が「誤訳だらけ」と評されていたのが、どういうことだったのか今頃になってなんとなく実感できたような気がする。(因みに、現役時代は翻訳には手を出さなかった不真面目部員であったのだが(笑))

※講義内容で印象に残った箇所は次エントリにて。


<受講前試訳>
 唐突に、ジョン・グリーアは自分が天国の入口にいることを悟った。
 彼の前には来世の白色と空色の雲の大陸が広がっており、彼方には永遠の太陽の下で金色に輝く夢のような都市が見えた。彼の目の前には長身で慈愛に満ちた風貌の記録天使が立っていた。不思議なことに、グリーアはなんのショックも感じてはいなかった。というのも、彼は常々、天国は特定の宗教や宗派の信徒のためだけのものではなく、あらゆる人のためのものだと信じてきたからである。それでも、彼は疑念にとらわれ、自分の人生の全てを思い返していた。今、彼は天国の仕組みを信じきれず、ただ微笑みを浮かべるより他なかった。
「天国へようこそ」記録天使はそう言うと、いかにも威厳のある真鍮で装丁された元帳を開いた。厚い多焦点レンズを透かして目を細めつつ、天使は自らの指でびっしり書かれた名前の列を下にたどっていた。彼はグリーアの加入記録をみつけるとためらう様子を見せ、動揺で翼の先をちょっと震わせた。
「なにかまずいことでもありましたか?」グリーアはたずねた。
「わたしもそう感じている」記録天使は言った。「どうやら、死の天使はきみの約束された時刻より前に、きみをたずねてしまったようだ。彼は前にひどく遅れすぎたことがあったのだが、だからといって許されるものでもないだろう。さいわいにして、これはとるに足らない誤りだと思うが」
「ぼくの死すべき時より前に連れてきてしまった、ということですか?」グリーアは言った。「とるに足らない、とは思えませんが…」
「しかしね、きみ、これはたった5分のことなのだよ。きみが心配するほどのこともないだろう。このくらいの違いは大目にみて、きみを永遠の都に送らせてもらえないだろうか?」
 記録天使は疑いようもなく正しかった。地上でのあと5分が、彼にどんな違いをもたらすというのだろう? それでもグリーアは、理由は言えないまでも、その5分が大事なのではないかと感じていた。
「ぼくはその5分が欲しいのです」グリーアは言った。
 記録天使は思いやるように彼を見た。「もちろん、きみは正しい。だが、わたしも忠告しておきたい。きみは自分がどのように死んだのか覚えているかね?」
 グリーアは思い出そうとして、それから頭を振った。「どうやって?」彼は自問した。
「わたしはそれを言ってみなさいと強いるつもりはない。とはいえ、死とは決して好ましいものではない。きみは今、ここにいる。われらとともにあろうとは思わないかね?」
 それは確かに理にかなってはいた。しかしグリーアは何かが終わってはいない、という感覚にとりつかれていた。「もし、無理に思い出すことになるとしても」グリーアは言った。「ぼくはやっぱりその5分を過ごしてみたいのです」
「それでは、行くがいい」天使は言った。「わたしはここできみを待っているよ」
 そして突然に、グリーアは地上に戻った。彼は薄暗くライトの明滅する金属製の円筒型の部屋に降りたった。空気は新鮮ではなく、蒸気と機械油の臭いがした。鋼鉄の壁が波打ち、ぎしぎしと音を立てており、継ぎ目からは水が流れ込んできていた。
 グリーアは自分がどこにいるか思い出した。彼はアメリカの潜水艦「インヴィクタス(不沈)」に乗り込む砲術将校だった。ソナー探知のミスがあり、彼らは1マイルは離れているはずの海底の崖にぶつかり、今まさに漆黒の海水の中をなすすべもなく沈みつつあるのだった。インヴィクタスは既に自らの最大潜行深度を大きく超えていた。高まる水圧が艦の外殻を押しつぶすまでは、もはやほんの数分となりそうだった。グリーアは、それがまさに5分間で起こることを知っていた。
 艦内には特に騒ぎはなかった。海の男たちは自分たちをきちんと律しており、迫りくる艦壁、死までの時間、恐怖を表には出さなかった。技術士官たちは席にとどまり、自分たちに救いがないことを知らせる計器の数値を淡々と読み上げていた。グリーアには、記録天使がこのこと~人生の苦い結末、凍てつく暗黒の中でのあっけなく突然の死の苦しみ~を思い出させないようにしてくれていたことがわかった。
 それでもなお、グリーアは、記録天使にはわかってもらえないだろうとは思いつつも、自分がここにいることに感謝の念を抱いた。天国におわす者たちに、地上の人間の感じることがどうしてわかるだろう? グリーアは自分がふるさとにさよならを言う稀な機会を、それも、行く手に何の怖れもなしに、与えられていたのだ、ということを知った。艦壁が潰れてくるにつれて、彼は地球の美しさを想い、でき得る限りたくさん覚えていようと考えていた。まるで、異国への長旅に出るために、荷物をまとめている人のように。