北條家のユーカリのこと(『この世界の片隅に』)2017年01月28日 09時58分25秒

 職場に昔からユーカリの樹がある。
 もう30ン年経つ職場に、最初から植えられているので樹齢は40年以上あるかもしれない。けっこうな巨木になっていて、全体に太い幹の部分の樹皮がはがれて木肌がみえている(これはユーカリの特徴のひとつ)。
 いつもは何の気なしに通り過ぎていた。日常の風景の一部で、空気のようなものだった。

 『この世界の片隅に』の映画を観て、北條家の庭のユーカリの姿に、なんだか見覚えがあると思ったのだが、出勤してみて気がついた。高さも枝振りも、ほぼ双子のように似ている。

 さて、そうなってみると原作でも映画でもなにげなしに「蚊遣りに使うてください」といわれるこのユーカリが気になって、ちょっと調べてみた。
(葉の写真入りで紹介しているサイトを見つけたのでご参考まで。http://www.eucalyptus.jp/?a=252

 蚊遣りに効果がある、細長い葉のユーカリは通名「レモンユーカリ」(ユーカリシトリオドラ。学名:Corymbia citriodora)というようである。木の葉がレモンのような香りをすることから、これらの名前がついたということか。
 そして、虫除けに効いている成分はシトロネラールとのことで、このユーカリのレモンっぽい香りの成分そのものでもあるようだ。

 因みに、果実のレモンの香りの主成分はシトラールといい、カタカナにするとちょっと似ているが、これは厳密にはひとつの物質ではなく立体構造が異なるゲラニアールとネラールの混合物である。有機化学的に細かい話をするなら、シトロネラールはゲラニアールやネラールより分子内の二重結合が一つ少なく、シトラールとは別の物質である。とはいえ、構造が似通っているので、香りもちょっと近いニュアンスがある。
(ちょうど質問箱でこれらの構造がわかるのがあったのでご参考まで。http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14143574774

 さて、ここでちょっと脱線すると、シトロネラールは山椒にも含まれている。山椒の辛みはサンショオールというまた別の成分によるものだが、山椒のちょっとさわやかな香りにはシトロネラールが寄与しているとされる。
 そう思って、職場のユーカリの葉を摘んできて、指でこすってみると、なるほど、レモンっぽくもあり、山椒っぽくもある。

 映画版では、北條家は築50年くらいという設定のようで、なるほど、桐製と思われる箪笥なども年経て飴色になっている。おそらく、ユーカリの樹齢も家と同程度で、うちの職場のユーカリとも同じくらいなんだろうな、とちょっと思ったのであった。

コメント

_ (未記入) ― 2017年02月26日 10時56分19秒

はじめまして
「この世界の片隅に」からこちらにたどり着きました。
ユーカリの考察ですが、ユーカリの睡眠効果から解釈してはどうでしょうか。作中、睡眠に関するシーンやエピソードがたくさん出てきます。すずさんを理解する上で睡眠は非常に重要ファクターになると思うのです。

_ たこい ― 2017年02月27日 06時12分44秒

コメントありがとうございます。これはなかった発想でした。何故北條家にはユーカリがあったのか、を軸に考察してみる、というのも面白いかもしれませんね。
「蚊やりに…」というシーンから興味を持って調べてみるのも面白かったです。日本人好みの香りのように思います。

_ yama ― 2017年02月28日 00時50分32秒

HNが未記入になっていました。すいません。
yamaと申します。

過去の「この世界の〜」の記事も拝見させていただきました。なるほどSF/幻想文学の観点からの考察なのですね。
片淵監督の原作に対する理解と映画のアプローチに関しては全く同感です。
以前の記事にコメントすべきか迷いましたが、
ブログ主様の考察への反論、感想ではないので、
こちらで続けさせていただきます。

数年前に原作本は購入して、映画を機会に読み返しました。とんでもない作品だとやっと気づきました。名作とか、傑作とかの言葉では収まらない作品だと思います。

ブログ主様は、あるツイートがSF/幻想文学観点からの考察のきっかけになったとありますが、私はそのツイートと全く逆の意見です。

・信頼できない語り手ではない。
・物語中の事実らしいことは事実である。
・あとがきの「私の一つの解釈過ぎない」との言を信じるならば、作者には明確な解釈が有り、事実を拾い上げていけば必ず作者の解釈にたどり着ける。
ウラノスズ描く、鬼イチャン①②とかはとりあえず保留です。すずの創作が物語中の事実の予言ならば、これはもうメタホラー/オカルト漫画です。(実はそういう解釈も出来るかも)

せっかくなのでユーカリ(睡眠)の連想から、例を取ってみます。
第6回19年3月(上巻P97)のすずさんの寝顔です。
すずさんの新しい生活がストレスに満ちたもので(ハゲが出来るほど)読者は里帰りした安堵とつい解釈してしまいがちです。
しかし和やかな姑、義姉の配慮(すずの勘違いだが)はストレスとは程遠いものですし、実家に帰りなさいと言われたのが前夜の事ならば、昼間ガミガミ叱られてもハゲに関して義姉はほぼ無実です。
すずさんのセリフ通り「呉へお嫁に行った夢」をみて微睡んでいるわけです。
第8回19年5月、楠公飯を火なしこんろに仕込み終えたすずさんは、
布団の中で大船のようにすい〜です。
つまり、ユーカリの暗喩は北條家はすずさんにとって浦野家よりは安眠できる安らぎの場所を示していたわけです。
ここに気がつくと、第6回19年3月は浦野家の人々の冷めた人間関係見えてきます。北條家のこたつに対して浦野家のちゃぶ台、卓上の晩ご飯の品数、それを囲む4人の距離感。翌朝、5円札を渡す父の後ろめたさ、里帰りした娘を残し内職に行く母。一人荷物をとめるすず。「・・・さよなら、さよなら広島」のセリフが惜別から決別に反転します。

これに限らず原作に一つ一つ描かれた事実から、先入観や勘違いを取り除いて行くと、すずさんに起こったある事実がふいに見えて来たのです。それは冬の記憶より以前の出来事で・・・これ以上はネタバレなので止めておきます。しかし、抽象的な最終回や、疑問の多い終戦日もすべて納得できるのです。あらためて冬の記憶、大潮の頃、波のうさぎを読み返し、私は胸が潰れそうになってしまいました。今まで読み飛ばした何でもないコマでいい大人が嗚咽してしまいました。

私とは別の考察から、
>「自分の右手がもうない」ことをはっきり自覚したページ(正確には第35回P60、最大の真相が明示されます)
>おそらく離人症の状態にあったこと(心の病)
に行き着いたのなら必ず気付いていただけると思います。
ブログ主様がもし、すでにお気づきでであれば野暮と笑って下さい。

_ たこい ― 2017年03月02日 22時27分04秒

あらためて、コメントありがとうございました。

…ううむ。一つ前にいただいたコメントからは予想できなかった変化球ですね。確かに、多様な「読み」が出来うる多層的、重層的な構造をもつ原作だけに、描かれているストーリーや、当然そうだろう、と受け取れる描写を読む視点をひっくり返してみると、また別の物語/現実が浮かび上がってくるかもしれません。(とはいえ、ご指摘の「読み」は自分のこれまでの考察では視野の外にあった感じです。再読してみましたが、yama様の「読み」の全体像はまだ掴み切れていません…)

_ yama ― 2017年03月03日 03時24分07秒

過去の記事も拝見いたしました。
ライダーズファンの方なのですね。
同年代か少し上の方かな。
自分はアマチュア・アカデミー〜最後の晩餐くらいまではよく聞きましたね。
ライダーズよりも鈴木慶一プロデュース作品に興味があって、鈴木さえ子とかリアルフィッシュとか好きでしたね。

さて、前回のコメントあまり説明が良くなかったですね。何言ってんだコイツと思われたかもしれません。
今回は、すずさんの秘密に触れず、多重性のある物語ということをちょっと語ってみたいと思います。お題は、

「口紅は本当にテルちゃんの形見なのか」

リンさんは桜の木の上で明確な嘘を一つ付いています。「雪に描いたいた絵を見てすぐすずさんとわかったわ」これは嘘です。すずさんが二葉館で門前払されたあと、二階から無言の吹き出しが出ています。これはリンさんですね。
自分と周作の関係がバレたかと勘違いしたわけです。(テルちゃんに探らせた可能性もあります)すずさんが茶碗を持ってきた真意も思いあぐねています。
傾城に嘘をつくなと無理を言い、なんて川柳があるくらいだから嘘はお手のもの。以降の会話も嘘が混じってると考えて不思議はないです。茶碗の由来をすずさんから聞いたリンさんの胸中は複雑ですよね。周作の誠心、すずの友情、そしてリンの気配を家から消し去ろうとする本妻の女心。
つい言葉に詰まってしまいますが、そこはさすが遊女、すぐにもち直します。ここでテルちゃんの話題となり、すずさんに死を告げます。間を置かずリンさんは巾着から口紅を出します。
本当にテルちゃんの形見なら友情の返礼、リンさんのものならば女心の意趣返し。もし周作さんがそれを見た時にリンさんを思い出すようなものなら・・・口紅は周作さんがプレゼントしたもの?
「自分専用のお茶碗と同じくらいにね」のセリフ、意味深ですねー。中巻のp42,リンさんが巾着越しにギュッと握っていたのは、切れ端の名札でなく、口紅・・・切ないなぁ。

ご存知のように映画では桜のシーンは無いんですが、それに変わるシーンが有りましたね。カブトムシとタマムシが木にいるカットです。あれが桜の木ならばカブトムシは大楠公と小楠公で「桜井の別れ」タマムシはリンさんで意味は玉虫色というところでしょうか。
坂口安吾の「桜の森の満開の下」の引用ですが、
>桜の森の花の下を通過したとたんに今迄仲のよかった旅人が仲が悪くなり、相手の友情を信用しなくなります。
わざわざ木に登ったのはこんな含みがあるのかもしれません。

よそ様のブログのコメントで長々とすいません。
ネットで調べても自分の解釈と同じ人が全然いなくて、唯一こちらのブログが共通する部分があると感じましたもので。
「この世界の片隅には」ホント語りたくなっちゃいますね。

_ たこい ― 2017年03月04日 21時44分47秒

また新しい視点のコメントありがとうございます。

確かに、原作はこうの先生の言(パンフレットやガイドブック、片淵監督との対談など)でも「すずさんは大人の女性」で「実はしたたかなところもある」と語っておられますし、映画ではカットされたリンさんとの「友情」の交友も、お互いに秘めたものをかかえた二重性があると思われます。その点では、「口紅」が「茶碗」に対応するというのはいかにもありそうですね。

また、ご指摘を受けて少し考えているのですが、「鬼イチャン」ではない要一兄さんが物語中に姿を現すのは幼少期の「大潮の頃」と「波のうさぎ」くらいで、連載本編に入ってからはほぼ全編にわたって「不在の人物」であることがあらためて自分の中でクローズアップされてきた感じです。これは、もう少し考えてみたい感じがしています。

あと、過去のエントリもけっこう読んでいただけたようで恐縮です。
ムーンライダーズは最初の活動休止期にファンになって、『最後の晩餐』以降はリアルタイムで追っかけてます。ライブも東京の会場はけっこう行ってます。
今年も白井良明40周年でいろいろやってくれそうで楽しみにしています。

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