ロバート・シェクリイ「五分間の機会」(受講前試訳)2016年06月01日 07時30分46秒

<元テキストについて>
 SFセミナー2016本会企画の「SFファンタジー翻訳教室」(講師:西崎憲先生)はリンク先のショートショートを題材に、英文の小説を日本語の小説にする際に、原文のどういうところに気を配り、そのニュアンスを日本語にしていくか、について、たいへん実践的な講義となっており、興味深く受講させていただいた。

http://www.sfseminar.org/wiki.cgi?page=SF%A5%BB%A5%DF%A5%CA%A1%BC2016%A1%A1%CB%DD%CC%F5%B6%B5%BC%BC%A5%C6%A5%AD%A5%B9%A5%C8

 以下は、リンク先のショートショートを受講前に自分なりに訳してみたもの。(事前課題の〆切には間に合わず(笑))
 原文は平易な英語で読みやすいわりに、なかなかに含蓄のあるいい感じのショートショートなのだが、日本語にしよう、という視点でみると、けっこういろいろ迷ってしまう箇所があちこちにあり、講義テキストとしてはナイスなセレクトだなあ、と感じた。
 実際に受講してみての感想としては、自分で頭ひねった分、講義の内容がより実感できて面白かったので、〆切には間に合わなかったけど、やってみてよかったな、と思った次第。
 以下は受講前の試訳を備忘録的に。これと、〆切までに提出した方々の訳文を参照しながら受講してみて、過去に大学SF研のファンジンの翻訳が「誤訳だらけ」と評されていたのが、どういうことだったのか今頃になってなんとなく実感できたような気がする。(因みに、現役時代は翻訳には手を出さなかった不真面目部員であったのだが(笑))

※講義内容で印象に残った箇所は次エントリにて。


<受講前試訳>
 唐突に、ジョン・グリーアは自分が天国の入口にいることを悟った。
 彼の前には来世の白色と空色の雲の大陸が広がっており、彼方には永遠の太陽の下で金色に輝く夢のような都市が見えた。彼の目の前には長身で慈愛に満ちた風貌の記録天使が立っていた。不思議なことに、グリーアはなんのショックも感じてはいなかった。というのも、彼は常々、天国は特定の宗教や宗派の信徒のためだけのものではなく、あらゆる人のためのものだと信じてきたからである。それでも、彼は疑念にとらわれ、自分の人生の全てを思い返していた。今、彼は天国の仕組みを信じきれず、ただ微笑みを浮かべるより他なかった。
「天国へようこそ」記録天使はそう言うと、いかにも威厳のある真鍮で装丁された元帳を開いた。厚い多焦点レンズを透かして目を細めつつ、天使は自らの指でびっしり書かれた名前の列を下にたどっていた。彼はグリーアの加入記録をみつけるとためらう様子を見せ、動揺で翼の先をちょっと震わせた。
「なにかまずいことでもありましたか?」グリーアはたずねた。
「わたしもそう感じている」記録天使は言った。「どうやら、死の天使はきみの約束された時刻より前に、きみをたずねてしまったようだ。彼は前にひどく遅れすぎたことがあったのだが、だからといって許されるものでもないだろう。さいわいにして、これはとるに足らない誤りだと思うが」
「ぼくの死すべき時より前に連れてきてしまった、ということですか?」グリーアは言った。「とるに足らない、とは思えませんが…」
「しかしね、きみ、これはたった5分のことなのだよ。きみが心配するほどのこともないだろう。このくらいの違いは大目にみて、きみを永遠の都に送らせてもらえないだろうか?」
 記録天使は疑いようもなく正しかった。地上でのあと5分が、彼にどんな違いをもたらすというのだろう? それでもグリーアは、理由は言えないまでも、その5分が大事なのではないかと感じていた。
「ぼくはその5分が欲しいのです」グリーアは言った。
 記録天使は思いやるように彼を見た。「もちろん、きみは正しい。だが、わたしも忠告しておきたい。きみは自分がどのように死んだのか覚えているかね?」
 グリーアは思い出そうとして、それから頭を振った。「どうやって?」彼は自問した。
「わたしはそれを言ってみなさいと強いるつもりはない。とはいえ、死とは決して好ましいものではない。きみは今、ここにいる。われらとともにあろうとは思わないかね?」
 それは確かに理にかなってはいた。しかしグリーアは何かが終わってはいない、という感覚にとりつかれていた。「もし、無理に思い出すことになるとしても」グリーアは言った。「ぼくはやっぱりその5分を過ごしてみたいのです」
「それでは、行くがいい」天使は言った。「わたしはここできみを待っているよ」
 そして突然に、グリーアは地上に戻った。彼は薄暗くライトの明滅する金属製の円筒型の部屋に降りたった。空気は新鮮ではなく、蒸気と機械油の臭いがした。鋼鉄の壁が波打ち、ぎしぎしと音を立てており、継ぎ目からは水が流れ込んできていた。
 グリーアは自分がどこにいるか思い出した。彼はアメリカの潜水艦「インヴィクタス(不沈)」に乗り込む砲術将校だった。ソナー探知のミスがあり、彼らは1マイルは離れているはずの海底の崖にぶつかり、今まさに漆黒の海水の中をなすすべもなく沈みつつあるのだった。インヴィクタスは既に自らの最大潜行深度を大きく超えていた。高まる水圧が艦の外殻を押しつぶすまでは、もはやほんの数分となりそうだった。グリーアは、それがまさに5分間で起こることを知っていた。
 艦内には特に騒ぎはなかった。海の男たちは自分たちをきちんと律しており、迫りくる艦壁、死までの時間、恐怖を表には出さなかった。技術士官たちは席にとどまり、自分たちに救いがないことを知らせる計器の数値を淡々と読み上げていた。グリーアには、記録天使がこのこと~人生の苦い結末、凍てつく暗黒の中でのあっけなく突然の死の苦しみ~を思い出させないようにしてくれていたことがわかった。
 それでもなお、グリーアは、記録天使にはわかってもらえないだろうとは思いつつも、自分がここにいることに感謝の念を抱いた。天国におわす者たちに、地上の人間の感じることがどうしてわかるだろう? グリーアは自分がふるさとにさよならを言う稀な機会を、それも、行く手に何の怖れもなしに、与えられていたのだ、ということを知った。艦壁が潰れてくるにつれて、彼は地球の美しさを想い、でき得る限りたくさん覚えていようと考えていた。まるで、異国への長旅に出るために、荷物をまとめている人のように。